水曜日, 4月 20, 2016

INTERVIEW: 糸井重里  第3回 実はかっこよくてもダサくても、どっちでもいい

 

ダサい、野暮、下品と新市場:糸井重里さん

第3回 実はかっこよくてもダサくても、どっちでもいい

 




川島:創業社長って、ともするとワンマンになりがちだなぁって普段から思ってきたんです。「俺についてこい」みたいなマッチョな社長ってけっこう多いじゃないですか。社長としての糸井さんは、本当のところ、どうなんでしょうか?

糸井:マッチョな大将になると不自由になります。僕は、自分の自由を減らしてまで大将でありたいかと言ったら、そうはなりたくないですね。大将でいて何が面白いんだ、と思っちゃうので。

ただ、「マッチョぶると面白いことがあるんだろうな」とは考えます。たとえば、今が戦後の混乱期だったとするじゃないですか。それで、昔ちょっとだけ関係のあった女の人に、闇米とかをどんと運んであげちゃう。「どやっ!」てね。そういうのは憧れます(笑)。

川島:そういうマッチョな施しだったら、私もされてみたいと思います。

糸井:でしょう? それに、たくさんの人が働くことで成立しているような会社の場合は、社長がマッチョに振る舞うことって、時に大事だとも思うんです。

川島:なぜですか?

 

 

時にはマッチョのように

 

糸井:たくさんの社員にとって「何か頼りになる」ところがあった方がいいからです。でも、うちのような会社のサイズでは要らないことです。

川島:糸井さんはマッチョではないけれど、世の中的には知名度が高いし、憧れの存在でもあって、ある意味、会社の顔ですよね。

糸井:「俺が受けてる」って社長が言っても、誰も喜ばない。だから「俺が受けているんじゃねえ、おめえらが受けているんだ」と、社員たちに言いたい。僕が受ける必要なんて、どこにもないんだもの。僕はどうするかっていうと、町人として近所で人気のある人になりたいんです。

川島:町人としてですか?

糸井:みんなに人気がなくてもいいから、近所で人気がある人になりたいんです。「おはようございます」って、ニコニコ言い合えるような町内を持っているかどうかは大事ですから。

川島:世間じゃなくて近所って言うのは、世の中あまねくというよりは、社員の人や取引先、そしてお客さんに人気っていうことですね。こういう話、普段から社員に伝えているんですか?

糸井:そんなこと、僕が口に出さなくても、オートマチックにそうなっていくんですよ。自然にそう動いていくということです。うちは、チームで動いているから。チームっていうのは、勝てば嬉しいじゃないですか。それで「お前、よく打ったな、かっこいいな、明日はダメでもいいよ」みたいな。

川島:そうやって糸井さん、社員を褒めることもあるんですね。

糸井:いや、褒めてあげない。僕が褒めるのは、社員の美貌だけです(笑)。おつりみたいな仕事で「よくなったな」くらいは言いますが。

 

 

社員を増やして、株式上場も視野に入れています

 

川島:叱るのはどうですか?

糸井:チャンスが欲しくてうちに入ったのだとしたら、他にもチャンスが欲しい人はいっぱいいるわけだから、チャンスに向かう気持ちがなくなっている場合、「どうなっているんだよ」とは言います。

川島:それは愛情からくる苦言みたいなものなのかなぁ。社員に対して、愛情って感じていますか?

糸井:愛情は、あります。今や会社は自分の身体みたいなものだから。正確にいうと、愛というより一体感ですよね。私であるかあなたであるかということの境目があまりない時間と空間は、組織がうまく動いていると、どんどんできてくるんです。そうなってくると、会社って面白くなっていきます。

川島:オフィスにうかがって、「面白そう」っていう気配が漂っているって感じました。今年初めに引っ越されたのですが、空間の構成やデザインは変わっても、漂っている空気の密度が、前とまったく同じなんです。

糸井:わが社は何でできているかというと、酸素と窒素(笑)。そして伸びしろです。「俺はシロを作るんだ、伸びしろという」みたいな。

川島:ということは、これからどんどん会社を大きくしていこうと?

糸井:そうです。社員を増やして、株式上場も視野に入れています。

川島:えっ、そうなんですか。それはまたどうして?

糸井:企業としての足腰を鍛えることって大事かなと思って。それで、人を採ったりしようとがんばっているのだけど、なかなかいい人が来てくれない。だから、まだうちの会社の足腰は弱いのかなって。前に比べたら「そろそろ来始めたかな」っていう感じはあるんです。でも、技術職になるとまだまだですね。「どうやって人を採るのか」ってとても興味があることのひとつです。

 

 

「かっこいい」と「ダサい」の谷

 

川島:糸井さんは、どんな球を投げても、すごいところから打ち返してくる。実に「かっこいい」なあ、と思うんですけど、そもそも「かっこいい」と「ダサい」とは、何がどう違うんでしょうか?




糸井:実はかっこよくてもダサくても、どっちでもいいと思うんです。だって、ダサくても好きなものって山ほどあるじゃないですか。それは自分についても同じなわけで、「俺はここがダサい」と思うところ、あちこちにありますよね。そのダサさも含めて自分だし。

川島:そうですね。

糸井:一方で、さっき言われたように、「糸井さんのここがかっこいい」という他人の目線もありますよね。「かっこいい」というのは、ちょっと社会性があることなのかもしれません。

川島:「かっこいい」は他人の目線が決めている?

糸井:うん。キャッチボールでミットの音が鳴るみたいに。「かっこいい」は一人だけでは決められない。人から見てというところが、どこかあると思うんです。

川島:ああ、だから、自分で自分のことを「かっこいい」って思っている人は、「かっこよく」見えないんだ(笑)

糸井:逆に言うと、世間的に「とてもかっこよく見えている人」というのは、あんまり自由じゃない人です。

川島:「かっこいい」んだから、自由に生きられるような気がしちゃいますが。

糸井:他人から見て「とてもかっこよく見えている人」というのは、世間との関係で生きてきた時間や、その人の「かっこよさ」によってさまざまな影響を与えているわけです。となると、自由なんてほとんどないんです。

川島:たとえば?

 

 

「かっこいい」とは不自由なことさ

 

糸井:木村拓哉くんなんかそうですよね。彼は、人が見ていないところでガードレールをポンと跨ぐ時だって、かっこよくなきゃいけないわけです。それは、やっぱり自由ではないでしょう。だから、「かっこいい」というのは、社会の中の価値観の話になるんです。

川島:ああ、確かに木村拓哉さんのような「かっこよさ」は、不自由ですね。一方で、自分で「かっこいい」と思っている人って、世の中にけっこういますよね。

糸井:そういう人は、「人から見た=社会から見た価値」、つまり「かっこいい」を「私は持っています」という取引を、毎日自分の中でやって、社会に見せているわけでしょう? その取引の中にしか「かっこいい自分」がいないわけだから、ちょっと哀しい。

川島:そういうのって、けっこう誰からも見えて、わかっちゃうものなんですが。

糸井:そういう人からは、ひっきりなしに屈託が出ていますから。

川島:「かっこいい私」という屈託が見えちゃうっていうのが、ある意味「ダサい」につながります。

糸井:見え見えだとそうなっちゃいます。「したいこと」と「できること」の間のところに、「ダサい」が入ってくるわけで。人って「したいこと」はあるけれど「できないものはできない」。

川島:なるほど。「したいことができる人」は「かっこいい」けれど、「したいことができない人」がかっこつけると「ダサい」になっちゃいますね。

 

 

「よーし」だけも、「どこ行くのかなー」だけも良くない

 

糸井:「ダサい」って言葉で思い出したんだけど、「野暮」って言い回しがあるじゃないですか。「野暮」って言い回し、取り扱い注意だなって思ったんですよ。それで、ある時、「『野暮』って何だろうってことを誰かが調べてまとめたらいいのに」と言ったら、すぐに「糸井さん、『野暮』についての本が出てますよ」と教えてくれる人がいたわけです。でも、それこそが「野暮」というもので。

川島:あはは、本当だ。ほっといてくれ、ですね。

糸井:調べればわかることを、わざわざ「ほれほれ」って言い立てるのが、そもそも「野暮」というものでしょう。

川島:「したいこと」と「できること」の間のところに、「ダサい」が入っているから、「到達していない」のは「ダサい」ですよね。でも糸井さん、ご自身の到達点って、いつも見えているんですか?

糸井:どうかなあ。「裸になって浮かんじゃっても何とかなるよね」と言われた時の嬉しさってあるじゃないですか。漂流したとして、こうやって浮かんだわと。

川島:無理に到達点を作って目指すんじゃなくて、あるがままに流されてみるってことですか?

糸井:それができたら「野暮」じゃなくなります。今、力を抜いたらどこに行くんだろうという時に、そのまま行ったらどっちに行くかなというのを無意識で探している状態。あっちに流れると、ちょっと何か良さそうだなとか。本当の理想は、もう全部の力が抜けて、「ああ、いいところに浮かんでいる。これからどこ行くのかなー」みたいなところにあるんですよ。でも、まだまだちょっと「野暮」いから(笑)、そうなっていないですけど。

川島:心地よいゆるさ、たゆたっている感じがかっこいいっていうのが、糸井さんの中にあるんですね。

糸井:でも、「たゆとうている」というのは、物凄く疲れるんです。僕には、それをやれるだけの技量がない。

川島:糸井さんにとって、どういう状況がベストなんですか?

糸井:「これについて一所懸命やるか」とか、「これは頼まれたことだし、よーし」とかっていうのと、「どこ行くのかなー」っていうのと、しょっちゅう思い返しては繰り返しています。

川島:「よーし」だけも良くないし、「どこ行くのかなー」だけも良くないということですね。

糸井:良くないでしょう。筋肉がなまっちゃうしね(笑)。

 

 

ちょっと下品で羽振りがよくって肉好きな人が時代を作る

 

川島:糸井さんの中では、「よーし!」って思えるものとそうじゃないものってあるわけですよね。

糸井:ありますねえ。それで「良い」と思わなかった場合、なぜだろうとやっぱり自分で考えたい。「良くないけれど力がある」というものもありますから。だいたい世の中ががらっと変わる時というのは、「良くないけれど力がある」ものが出てくるんですよ。

川島:えっ、どういうことですか?

糸井:「食べ物」で言えば、古典的においしいものを出している料理屋さんは、今、淘汰されつつあるんです。「うまいもの」店ランキングを作っている世界で、「金はあるんだけれど、何食べればいいの?」という人たちの声が大きくなっているから。そういう羽振りの良い人たちが文明を変えちゃう。

川島:どんな風に変わっちゃうんですか?

糸井:「羽振りの良い人」たちは、ランキングの上位にあるという評判を耳にして、そのお店にやってきて、「うまいね、毎日来るから貸し切りにできないの」となる。貸し切りにした時に、上等な昆布でとったダシは通じないし、ご飯を食べ終わって「ごちそうさまでした」の後、「今日は肉がなかったんですね」と言っちゃう(笑)。肉にしても「但馬牛だよ」「A5」だよ、と言ったらそれだけで、点数が20点加算されちゃう(笑)。







川島:そして店の味は濃くなって、お店のメニューも変わっていっちゃう。

糸井:お店が「変わっていっちゃう」というより、お店を羽振りのいいひとたちが「変えちゃう」んです。

川島:そうやって、いいお店がダメになっていくんですね。

糸井:それが「ダメになる」ことかどうかはわかりません。が、「変わらない」お店は淘汰されてしまいます。それでも、「羽振りの良い人」たちは、ちっとも困らない。どうしてかといったら、自分の次の居場所を作っていけるからです。

川島:次なる名店ランキング1位に行けばいいわけです。

糸井:たとえば、昔から常連さんが大事にしているような料亭があって、でも時代が変わって「もうあそこはやっていけないんですよ」という時に、どうやって助けるかなんて考えるよりは、「あそこはもう古いね」と言って、カロリーたっぷりで「ま、そこそこ高いけれど、やっぱうまいよね」という新しい料理屋さんに移っていく。

川島:うーん、なんとなく顔が浮かぶけど、「羽振りの良い人」たち、ちょっと罪深いなあ。

糸井:そこはちょっと違うんです。いつだって、「ちょっと下品でお金を持っている」人が次の時代を作るんです。つまり「良くないけど力がある」。「ちょっと嫌だけれどパワーはある」。その力を否定しちゃダメなんです。

川島:そうですか……。

糸井:そういう「良くないけど力のある」というのを仕事の研究の対象にしなかったら、薄味の古典的な料理屋さんワールドに閉じこもったままになっちゃう。

川島:それは滅びの道ですね。じゃあ、糸井さん、ちょっと嫌だけれど研究対象の方たちとも付き合うんですね。

糸井:苦手なんだなぁ、これが(笑)。その場合、そういう「羽振りの良い人」が持っている価値観の源泉って何なんだろうなということを考えて、源泉の方を勉強することにしています。

川島:その源泉ってたとえば?

 

 

矢沢永吉が源泉だった

 

糸井:ざっくり言うと、永ちゃんなんです。かつて矢沢永吉は、デビューまもない頃に「近所にタバコを買いに行く時も、キャデラックに乗っていく」と言い放ちました。

川島:そして糸井さんと作った自伝のタイトルが『成りあがり』。一貫している! そうそう、矢沢さんは、まさに「羽振りの良さ」をどーんと見せるってところから出てきて、自ら「成りあがり」と言ってるけど、「かっこいい」「ダサい」でいうと、やっぱり「かっこいい」んですよね。

糸井:永ちゃんは、まさに「羽振りの良さってこういうことだぜ」というのを世間に見せつけてきました。それまで誰も見せてなかった価値感を提示した人なわけです。その後、成りあがって「羽振りの良い人」たちがやりたがることは、永ちゃんが、かつて示した道をたどっていると思うんです。

いい外車に乗って、隣には足の長い綺麗なお姉さんがいて、周りにほめられて、六本木を制する。とても簡単でわかりやすい要素です。そういう「羽振りの良さ」が古いものを淘汰し、新しいものを作っていく部分が確かにあるんですよね。

川島:「ちょっと下品でお金を持っている」という人たちが、歴史を作ってきた。どんな名家だって最初は「成りあがり」です。

糸井:いつでも次の時代の礎になったようなものって、前の時代の人からは、ちょっと下品に見えて、なおかつ金だけでやっているように見えたりもする。それを、はすに構えて軽蔑するというのは、単なるスノビズムで力がない。人はそういうものだ、歴史はそういうものだ、と受け止めなくてはいけませんよね。

川島:じゃあ、糸井さんも「羽振り良く」行くんですか?

糸井:それができないんだよなあ。そもそもそんなに「羽振り良く」ないですし(笑)










次回、「ブランドは『ライフの集合体』」に続く