月曜日, 4月 04, 2016

INTERVIEW|俳優 柄本 明 21世紀の「仕事!」論。 vol.3

 

21世紀の「仕事!」論。

俳優 柄本 明

 

第3回

「顔」について。 

 

 

 

── 先日、深作欣二監督の『道頓堀川』を観てたら‥‥。


柄本 はい。


── 若き柄本さんが突然、画面に登場してきました。


   で、いかにも「据わった」ような怖い目つきで、

   綺麗とも恐ろしいとも言える表情で、

   真田広之さんに

   低い声で「死にてぇのか‥‥あんちゃん」と。


柄本 オカマの三味線弾き、だったかなあ。

 

 

── すごく印象に残るシーンで、

   なんども巻き戻して、観てしまいました。


   若いころの柄本さんのお顔を

   あまり存じ上げなかったこともあるんですが、

   「うわあ、すごい顔だ!」と。


柄本 あれは‥‥30ちょっとだった。


── そこでおうかがいしたいのですが、

   柄本さんは

   「顔」というものを、

   どういうものだと思っていますか?


柄本 顔‥‥ねえ。


── いや、つまり、たとえば、

   名だたる写真家さんが「顔」の写真集を

   出版されているのを見ると、

   よくわからないけど、

   とにかく「顔」って撮りたいものなんだなと

   思ったりするんです。


柄本 ああ‥‥荒木(経惟)さんにも、

   十文字美信さんにも、撮ってもらってるな。


   白鳥先生(写真家の白鳥真太郎さん)にも、

   撮ってもらったことがある。


── 曖昧すぎる質問かもしれないんですけど、

   「顔」というものについて、

   柄本さんが

   どう思っているか、お聞かせください。


柄本 顔ね‥‥そうだね。顔‥‥‥‥‥‥ねえ。


   (しばらくの沈黙のあと)

   残念ながら、無意識ではいられないもの。

 

 

── ああ、なるほど。


柄本 無意識でいられない。なるほど。


   で、あとひとつ言うとすれば

   「人から奪われているもの」でもある。


── 奪われている?


柄本 うん、顔って、奪われている。そんな感じ。


   たとえば、ジェームズ・ディーンとか、

   マリリン・モンローとか、

   あれほどの大スターの「顔」ってさ、

   大衆によって

   「奪われている」みたいな感じがしない?


── 何となく、ニュアンスはわかります。

   消費されている、とでもいうような?


柄本 いや、あの‥‥つまりさ、

   これは「顔」からちょっと離れるけれども、

   「大スター」という存在に対しては、

   われわれみたいな大衆は、

   彼らの「不幸」に、拍手を贈ってるんだよ。


── 不幸に、拍手を?


柄本 つまり、才能やスター性に対して

   拍手を贈ってるわけじゃないってことです。


   ジョン・レノンだって誰だって、

   自分たち一般人みたいに

   平々凡々な幸せな人になったら許さない、

   大スターたちの

   「凡人には抱えきれない不幸」に対して、

   われわれは、拍手を贈ってるんだと思う。


── はー‥‥。


柄本 それを「才能」って‥‥言葉は綺麗だけどさ、

   「大きな不幸」 って言ったほうが

   わかりやすい感じがします。


   ふつうの人になったら許さないってことで、

   もっと不幸になれなれって拍手してんですよ。

     


── そんなこと思ったこともありませんでしたが、

   いや‥‥そうなのかもしれない。


柄本 人間が人間を見るって、

   そういうことなんじゃないかなあと思う。


   だって、

   大きな不幸を背負ってる人が出てくるとさ、

   みんな、そっち見ちゃうもんね。

   誰だって、私だって、あなただって。ねえ?

 

 

── 不幸であればあるほど、拍手が多い‥‥。


柄本 だから、わかんないけど、もしかしたら、

   写真の人は、それを撮りたがってるのか?


── 顔に出ている「不幸」を?


柄本 いや、どうだろう。


── 柄本さんは、ご自身のお顔は好きですか?


柄本 そりゃあ‥‥嫌いとも言えないでしょう。


── たしかに(笑)。


柄本 しょうがないよ、これでもう。

   こういうことなんだもんね。しょうがないです。


── 不満はもちろんある、でも嫌いとも言えない。

   自分の顔というものにたいしては、

   まさに、そんな感じがします。


柄本 好きだって言う必要もないしね‥‥

   ただ「嫌いじゃない」でしょう、自分の顔は。


── みんなの本音に近いと思います、今のは。


柄本 まあ、ねえ‥‥でもさ、話は変わるんだけど、

   どうしてみなさん、

   「本音で」とかって言うの好きなんだろうね。


── それは‥‥「本音で」話してもらったほうが、

   嬉しいからじゃないですか?


柄本 でもさ、たとえば、

   「本当は」とか「本音は」とかって言っても、

   そんなもの、

   自分のなかでもしょっちゅう変わるじゃない?


   本音だって言って嘘つくことも、あるし。

   そういうことするのが、人間なわけだし。


── それは、まあ、そうだと思います。


柄本 たとえば「俺にはおまえだけなんだ」って

   言ったとする、あのときに。


   それって、そのあとに「今は」って

   ちゃんとつけなきゃ「本音」じゃないよね。

 

 

── たしかに、未来はわからないとするならば、

   誠実ではないのかもしれませんが。


柄本 何だろう、「本音で話す」って言葉自体が、

   どれだけ意味あるんだろうって、昔から。


── まあ、書く方の「都合」で言うならば

   「本音で話していただきました」

   と言ったほうが、

   みんなに読んでもらいやすかったり‥‥とか。


柄本 ああ、ビジネスってことなら、わかりやすい。

   「本音で、いくらほしいんですか?」とか。


── でも、本音で話す瞬間って、ないですか?


   家族とか、親しい友だちとか‥‥

   人間だからこそ、あると思うんですけど。


柄本 そのとき、その場の雰囲気に丁度いい気分が、

   漂ってるだけじゃないかなと思います。


   そこに「普遍的なもの」なんか、

   何ひとつとしてないと思ってるけど、私は。


── あの、柄本さんって、

   若い人たちからも、いろいろ、さまざま、

   今みたいに、

   俳優哲学的なお話を聞かせてほしいと

    請われたりもすると思うのですが、

   たとえば、そういうとき、

   どんなふうにアドバイスしてるんですか?


柄本 私、下北の人間だけど、

   そのへんでやってる若い人たちの芝居を

   観ていると、

   「そんなにテレビ出たい?」

   って、聞きたくなったりします。

 

 

── はー‥‥。


柄本 いや、そういう若者の山っ気、下心、

   それは当たり前で、

   それを持つこと自体は、

   ぜんぜん悪いことでもなんでもない。


── ええ、聖職じゃないですもんね。


柄本 そりゃあそうです、当たり前です。


   テレビ出て、金がっぽり稼いで、

   いい生活したいっていうのは、

   そりゃあ、みんなそうなんだから。


── おかしな欲望ではないです。


柄本 だから「戦略」が必要なんですかねぇ。


── 戦略‥‥というと?


柄本 たとえば、さっきの「仕込み」ですね。

   それはまあ、ひとつですよ。


   で、仕込みをするにしたって、

   自分は、どういうことでやっていきたいか、

   その実現のためには、

   どういう「仕込み」をするかが重要で、

   それには要るんじゃないんですか。

   それなりの「戦略」が。


── なるほど。


柄本 戦略のない人間なんていません。


   そのことについては、若い人たちは、

   この先、傷ついたりしながら、

   いろんな場面で学んでくんだろうけど、

   私なんかが

   まあ、言ってみたいことがあるとすればね、

   そういうことだよね。


── 自分の欲望を見据えて、戦略を練る。


柄本 はじめのほうの話で

   「長く俳優って仕事をやっていて、

   どんなところが上手になりましたか」

   って、あなた聞いてたけど、

   それ、つまり「人間の欲望」ですよね。


   ようするに人間というものの欲望って、

   肥大化する一方で、

   やればやるほど、

   満足できないまま死んでいくわけです。


── はい。


柄本 だから、死んで、

   神さんのところへ行ったときにはじめて、

   人間は

   自分の「顔」を見るのかもしれないけど、

   そのときの「自分の顔」って、

   ずいぶん不満な顔をしてるんだろうねえ。


   ってまあ‥‥わからないですけど。 

 

 

 

 

vol.4 へ続く

 

 1972年、スタッズ・ターケルという人が
仕事!』という分厚い本を書いた。

植木職人、受付嬢、床屋、弁護士、セールスマン。
あらゆる「ふつうの」仕事についている、
無名の133人にインタビューした
職業と人」の壮大な口述記録なんですけど
ようするにその「21世紀バージョン」のようなことを
やりたいなと思います。
ターケルさんの遺した偉業には遠く及ばないでしょうが、
ターケルさんの時代とおなじくらい、
仕事の話」って、今もおもしろい気がして。








スタッズ・ターケル『仕事!』とは
1972年に刊行された、スタッズ・ターケルによる
2段組、700ページにも及ぶ大著(邦訳版)。
植木職人、受付嬢、床屋、弁護士、セールスマン、
郵便配達員、溶接工、モデル、洗面所係‥‥。
登場する職種は115種類、
登場する人物は、133人。
この本は、たんなる「職業カタログ」ではない。
無名ではあるが
具体的な「実在の人物」にスポットを当てているため、
どんなに「ありふれた」職業にも
やりがいがあり、誇りがあり、不満があって
そして何より「仕事」とは
「ドラマ」に満ちたものだということがわかる。

ウェイトレスをやるのって芸術よ。
バレリーナのようにも感じるわ。
たくさんのテーブルや椅子のあいだを
通るんだもの‥‥。
私がいつもやせたままでいるのはそんなせいね。
私流に椅子のあいだを通り抜ける。
誰もできやしないわ。
そよ風のように通り抜けるのよ。
もしフォークを落とすとするでしょ。
それをとるのにも格好があるのよ。
いかにきれいに私がそれをひろうかを
客は見てるわ。
私は舞台の上にいるのよ」

―ドロレス・デイント/ウェイトレス

(『仕事!』p375より)