水曜日, 4月 20, 2016

INTERVIEW: 糸井重里  第2回 クリエイティブの供給源を「仕入れ」るのが仕事です

 

脳みそから血が出るほど考える:糸井重里

 

第2回 クリエイティブの供給源を「仕入れ」るのが仕事です

 



糸井:今、食わしてくれるビジネスがあったとしたら、それを「もっと良くしていくことはできないだろうか」と考える。そこに必ずクリエイティブの要素はある。

その時、自分の生命力みたいなものをふり絞って出てくるもの。それがクリエイティブだと思うんです。よく社員に言うんですが、「君は脳みそから血が出るくらい考えているか」って。僕は「何か始めたら脳みそから血が出るくらい考えるぞ」と。なぜかというと、「脳みそから血が出るくらい考える」方が面白いから。

川島:私、脳みそから血が出るほど考えられない(笑)。

糸井:失敗してもいいんですよ。クリエイティブであることが大事なわけで、思いっきり突っ込んでいったけれど一銭にもならないことっていっぱいあります。でも、誰か面白いって言ってくれたら「失敗したあ!」でもいいんです。「それがあったから次の何かがある」っていうことだから。




ゼロからできるクリエイティブなんて案外ない

 


川島:「つまんない成功」より「面白いゴミ」ですね。でも、社員がクリエイティブであり続けるためには、どうすればいいんでしょう? たぶん、いろいろな企業の社長が、一番悩んでいることだと思うんですけど。

糸井:クリエイティブには供給源が必要なんですね。クリエイティブな仕事はゼロから生まれるわけじゃない。流行について書くライターさんのような仕事だったら、自分一人で仕事は完結しない。必ず、取材対象やネタ元のような情報、つまり供給源が必要になります。

一方、コピーライター時代のかつての僕は、供給源を頼りにする仕事なんて、現象に踊らされているだけでいらないって思っていたんです。「そんな仕事、クリエイティブじゃないぜ」って。自分のクリエイティブについて、供給源の必然性を感じなかったからです。

それが「ほぼ日」を立ち上げてから、がらりと変わりました。クリエイティブの供給源について、すごく考えるようになったのです。チームでやるようになって、ゼロからできるクリエイティブなんて案外ないぞ、と気づいたんです。

川島:今の糸井さんにとって、クリエイティブの供給源ってどんなものですか?

糸井:たとえば、面白いことを考えている人とか、面白いことをやっている人というのは、その人たち自体が、みんなクリエイティブの供給源です。

ただし、自分が面白い人からクリエイティブの素をもらうだけで、自分がクリエイティブになれるわけじゃない。新しいクリエイティブなコンテンツの供給源となってくれる人から何かをもらったら、僕も新しいコンテンツの供給源になる、いや、供給源になっていなくてはダメだと思います。クリエイティブって、そんなお互い様の関係から生まれたりするんです。

川島:クリエイティブが掛け算になる。

糸井:僕がある作家の仕事に感銘を受けて、その作家の展覧会をうちの「TOBICHI」でやったとしますよね。僕はその作家からクリエイティブをもらい、僕はそのお返しをしたわけです。その展覧会に作家の友だちが訪れて、そのうちの1人が「この展覧会、いいね」と言ってくれた。もう1人は「俺もここでやらせてもらおうかな」と言ってくれた。ということは、2人の作家の供給源を手に入れたわけです。1人の作家を仕入れたら、次に2人の作家を仕入れることができるようになったとも言えます。

川島:まさに、お互いクリエイティブを交換していることになる。ということは、供給源の作家が「どうかなあ」ということもあれば、場所を持っている糸井さんが「どうかなあ」と思うケースもあるわけで。




糸井:もちろんです。「あの作家がここでやるのは、どうかなぁ」もあるし、「時間が来るまでもう少し待つかなぁ」とか、仕入れるコンテンツやタイミングについて、僕らもよく考えなくてはならない。そういうことを、ひとつひとつ詰めながら仕入先を決めていく。なぜなら、僕らはクリエイティブで勝負している会社だからです。
川島:仕入先――。そうか、「ほぼ日」はクリエイティブの素を仕入れてきて、「ほぼ日」のクリエイティブにして、勝負する。この場合は、クリエイティブを売る、ということも含めて、ですよね。






糸井:ただ、「これが売れるかなあ。よし頑張って売ろう」じゃだめなんです。「これは売れるぞ、もう売れるに決まっている!」というものを探して、それが本当に売れるかどうか、自分に問いかけ続ける。それが「仕入れ」です。

川島:「売れるに決まってる!」って、お客さんに聞くんですか?「何がほしいですか」って?

糸井:お客さんに直接聞いても答えはないんです。なぜならお客さん自身は、未来の自分が何を欲しいのかわかっていないことが多いから。作り手から提示することが必要です。「これが欲しかったでしょ」って。そのために、自分自身に問いかけて「売れるに決まっている」ものを探し続けるんです。

川島:探せば、見つかるものなんですか?



クリエイティブの仕事は効率化しちゃダメ!


糸井:見つかります。見つけるまで、何が使う人に喜んでもらえるかどうかを考え抜く。お客さんが使って喜んでいる姿が浮かび上がらない「仕入れ」はうまくいかない。たとえば、「ほぼ日」で最大のヒット商品になっている「ほぼ日手帳」だって、毎年毎年改良を続けてきて、今や15代目になっているけれど、この商品も毎年毎年常にクリエイティブの「仕入れ先」についてずっと考え続けて、改良している商品のひとつです。

川島:定番商品の地位に安住しなということですね。

糸井:クリエイティブを仕事にする上で、僕がものすごく大事だと思うのは、クリエイティブの「仕入先」を考えるのと、「市場」を考えることです。ゼロから作るんだけど、最終的には、いちばん競争の激しいところで売ることを前提にして考えないといけない。「見せて売る場所」、商品の売られる環境は物凄く重要だからです。そしてそんな場所は、当然ながら激戦区です。

川島:なるほど。たとえば「ほぼ日手帳」が置かれているLOFTの手帳売り場は、文字通りの大激戦区ですよね。「ほぼ日手帳」のヒット以降、さまざまなアイデア手帳や有名人手帳がどんどん出てきているし。そうそう、今、糸井さんが口にされた「市場」とは、どういう意味ですか?

糸井:僕は「お客さん」という意味で使っています。「お客さん」には、お金を持ってきてくれる人と、喜んでくれる人、2つの意味が含まれます。クリエイティブの「仕入れ」は、「市場=お客さん」に向けたものなんです。

川島:文字面だけとらえると、マーケティングでターゲットとなる顧客を設定せよ、というのはよく言われますよね。でも、糸井さんのおっしゃる「お客さん」って、ちょっと意味が違うような。

糸井:まず、自分がお客さんになったら喜べるかどうか、本気で考えてみる。「人が嬉しいことって、どういうことか」、とにかくこればっかりをしつこく考える。逆の言い方もありますよね。「自分が嬉しいことって、どういうことか」を、しつこく自問自答してみる。僕らの仕事は、突き詰めるとそこに行き着く。そう思ってます。

川島:メーカーの人と話していると、自分がデザインした商品なのに、「これ、別にほしくないな」ってことが、けっこう多いそうなんですね。製品化に向けて、何度も会議を重ねていくうちに、「最新の技術を全部盛り込んで」とか、「ターゲット調査の結果がこうだからこうして」とか、いろいろ言われて、最終的に自分の意図がまったく反映されない商品になってしまって。作っている人が欲しくないものは、きっと誰も欲しくないんじゃないかと思っちゃうんですが。

糸井:それって、今の話で言えば、その商品があったら喜んでくれるであろう人に向き合っていないし、自分が本当の意味で、その商品のお客さんになってもいないですよね。当たり前のことですけど、僕らは、自分が納得できないものを作ったり売ったりしないことにしています。ただ、そこまで突き詰めてやっていますから、「市場」と「仕入先」を確保するのは、物凄くコストのいる仕事なんです。

川島:効率化しづらい領域ですね。

糸井:効率化しちゃだめなんじゃないかな、クリエイティブって仕事は。





川島:た、確かに……。



「偶然」はクリエイティブの神様だ



糸井:実はクリエイティブの一番の供給源は、外にあるわけじゃないんです。

川島:え、どこですか?

糸井:自分の頭の中。頭の中で、 デタラメに動き回っている何だかわからないものなんです。そいつは、脳の中で瞬間的に「あ、見えた!」というものだったりする。「面白い」は「共感性」と「意外性」の掛け算だってお話ししましたけど、その「意外性」のひとつに「偶然」があります。「あ、見えた!」っていうのも「偶然」です。

川島:「偶然」が、クリエイティブの供給源になるってことですか。

糸井:「偶然」って神様に出会っているようなものじゃないですか。自分では思いつかないもの。自分の今までのルーティンを変えざるを得ないもの。もっと言えば、ルーティンを変えてくれるもの。ただ、そんな「偶然」を受けとめる自分を、いつもキープできていないと「偶然」には出会えない。

川島:なるほど。

糸井:「あの人は面白いね」と思っていても、長く付き合っていて同じ手口だと気づくと、その面白さに飽きちゃうことだってあります。何か違う刺激が欲しくなるんでしょうね。

川島:ちょっと怖い話ですね。そうなったら糸井さん、どうするんですか? まさかその相手に「飽きた」って言っちゃうわけにもいかないし。

糸井:言わずともわかります。お互いが勘のいい人同士なら。


ちょこちょこ「チェックしない」こと



川島:そもそも勘って何なんでしょう。

糸井:すでにそこにあることを「感じられる」こと。それが勘です。「釣り」で例えると、水温があって、酸素の量があって、ルアーの色があって、天気があって、潮の干満があって、この5つが魚釣りでチェックすべき基本条件です。

でも、その他に、勘定してない要素があったります。たとえば、その時が繁殖のシーズンだったりとか。そうなると、さっきの5つの基本条件をすっ飛ばして、そっちの要素を勘案して、今日はどうやったら釣れるかと、対策を練ることができる。勘が働くって「そういえば繁殖のシーズンだ」と、「すでにそこにあること」に感づくということです。

川島:勘、というとなんだか当てずっぽうみたいに聞こえますが、むしろ事実に基づいたもの、底に流れているものに、ちゃんと気を回せるかどうか、なんですね。じゃあ、どうすれば勘を働かせることができるんでしょう?

糸井:この要素が大事ということを、ちょこちょこ「チェックしない」ことです。

川島:チェックしない! 禅問答だ……。

糸井:ちょこちょこチェックしちゃうと、それが目的になっちゃう。すると、もう「勘」じゃなくなっちゃう。

川島:大きなところから見てみるとか、小さなところから見てみるとか、「全体の中でここの要素が大事」に気がつくことなんでしょうね。私は、直球勝負しかできなくって、変化球が投げられないんです。だから勘が働く人、変化球が使える人に憧れちゃいます。

糸井:川島さん、直球って変化球なんです。

川島:え?

糸井:ものは投げたら放物線を描いて落ちます。普通に真っ直ぐ投げたら、軌跡は坂道のように地面の方へと下がっていきます。だから、バッターから見て、真っ直ぐやってくる球というのは、微妙に上振れしていなくてはならない。つまり落ちないように上に変化している。だから直球は変化球なんです。速球にして変化球だから、直球は、実は一番、難しい技でもある。

川島:言われてみればそうですね。

糸井:だから、川島さんも、ちゃんと変化球を投げてるんですよ。



社長は「いい方向」を見つける仕事


川島:糸井さんが社長を務めている糸井重里事務所、いま何人くらいいらっしゃるのですか?

糸井:社員が50人くらい、アルバイトも入れると70 人くらいいます。

川島:思ったよりずっと多い。その中で女性はどれくらいの割合で?

糸井:おおよそ6割から7割くらいの間ですが、空気的には9割くらいの感じです(笑)。ここにいると、みんな女性になっていくみたいなんです。

川島:賢い女性が、活き活きやっている感じ、伝わってきます。糸井さん、社長業ってどうですか?

糸井:社長に求められているのは、元気で、何だか楽しそうで、給料の遅配をしないこと。それから、来年はもっといいかもしれないと思わせてあげることです。

川島:その実現に向けて、糸井さんはどんなことをやっているのですか?

糸井:社長業は、絵描きが絵筆を持つのと同じことだと思うんです。会社というものを工作しているような感じで、「ここはカンカンカンと削っていこう」とか、「ここは型にはめなくちゃ」とか、「ここはブロックみたいだからみんなで組み立てようよ」とか、時には、材料や部品が足りないから、よそから買ってこなきゃならないってこともあるわけです。つまりは、いろいろな手法を混ぜた彫刻を作っているような仕事です。

川島:仕事や会社ってこれが完成形だ!という理想像みたいなもの、糸井さんの頭の中にあるんですか?

糸井:ないです。

川島:じゃ、ずっと作り続けていく感じですか?

糸井:完成形はないけれど、方向性はありますね。こっちが「いい方向」だということを意識しながら、作っていく感じです。

川島:「いい方向」って、どういう風にわかるんですか?

糸井:どっちに行くかというのを、無意識で探しています。どこに行くんだろう、と力を抜いて。そして、ちょっと何か良さそうだなと感じる時がある。方向が見えたら、そっちの方向に必ず行くことにしています。見えるような気がするというだけでも、近づいてみる。



間違いのない完成図を求めちゃダメ


川島:そんなにゆるっとした感じで見つかるものなんですか?

糸井:一本橋を渡る時も、足元を見ていたら絶対に渡れない。視線を遠くに定めておけば渡れます。そういうのを「夢」っていう人もいるかもしれない。「夢」じゃなくて「視線を定める」と考えると、未来に何をするか、もっと具体的に見えてくるかもしれません。

川島:糸井さんが過去に「視線を定めた」体験、教えてください。

糸井:1990年代後半、インターネットの世界に入る時、そして「ほぼ日」を作る時がそうでした。当初はインターネットで仕事するとは思っていなかったけど、インターネットのことを考え、遠くに視線を定めてみたら、いずれ世の中みんなインターネットになるだろうと思ったわけです。






川島:それが、2000年に糸井さんがお書きになった『インターネット的。』に書かれていることだったんですね。最近また、読み返してみたんですが、「フリー」や「シェア」や「情報が小分けになる」なんてことが予言されていて、正直言ってびっくりしました。2000年時点では、まだブログもSNSもiPhoneもない時代だったのに。どうして、インターネットはこっちに行くと、視線を定めることができたんですか?

糸井:種明かしすると、けっこう簡単なことです。自分が定めた視点と逆の方向の意見を並べて、比べてみればいいんです。「インターネットの方に世界は行くだろう。黙っていたってどんどん行く」というのをひとつの意見としたら、逆に「インターネットの方に世界は行くわけがないじゃないか。黙っていてどんどん行くはずがない」あるいは「今は流行っているけど、いずれ廃れるよ」という意見を置いてみる。そしてインターネットは「行く」とインターネットは「行かない」を比べてみると、「行かない」という意見のほうがどう考えても分が悪い。それって、すぐにわかるじゃないですか。

川島:そうやって視点を定めて、1998年に「ほぼ日刊イトイ新聞」を立ち上げて、インターネットの世界をどんどん行ったわけですね。

糸井:ちなみに視線を定めて「こっちに行こう」と、一度決めたら、勝算を証明できなくても、行っていいと思います。

川島:えっ、勝算をはじき出してから行くものじゃないんですか?

糸井:そう、世の中では、勝算をはっきり出してから行けというんです。でも、向いている方向さえ合っていれば、面白くなる可能性があるんだから、どんどん行った方がいい。僕の意見はそっちです。そもそも、間違いのない完成図を、求めちゃダメだと思うんです。

川島:大半の企業は、完成図を作ってから、そのプロセスを企画書にまとめ、それを忠実に実行せよと言いますよね。

糸井:さっきの彫刻の話で言えば、それって、型があってはめる作り方ということになります。

川島:だから、つまらなくなってしまうんですよね。







次回「ダサい、野暮、下品と新市場」に続く