水曜日, 8月 19, 2015

米と日本人


米と日本人


「日本人の主食は?」と訊かれたら、多くの人はためらうことなく「米」と答えるでしょう。その一方で、朝はトーストをかじり、昼食でラーメンをすすり、夕食にもパスタやピザが登場するといった食事スタイルがあたりまえになっている現代人。それでも、「主食は米」と言う私たち日本人って、不思議だと思いませんか?

ごはんの不思議

阪神大震災のときの話です。最初のうち、避難所には救援物資として乾パンやパンなどが届けられていました。もちろん、そうした状況下で食べものにありつけることは、多くの人の救いや安心感になったことでしょう。しかし、避難生活が長引いてくると、被災した人々に疲労感が溜まっていきます。そんなときに供されたのが、暖かいおにぎりでした。すると、人々の顔が変わり、その場の空気が変わったというのです。記憶に新しいところでは、口永良部島の火山噴火で屋久島に避難してきた人たちのために、屋久島の住人たちが「せめて暖かいおにぎりでも食べて元気を出してほしい」と炊き出しをしているニュース映像もありました。
単に空腹感を埋めるだけなら、パンでも麺類でも事足りるはずなのに、なぜかそれだけでは充たされなくなる。いざというとき、「ごはん」の存在は、私たち日本人の精神的な拠りどころになっているのかもしれませんね。

「米を買う」から「ごはんを買う」へ

農林水産省の『食糧需給表』によると、平成25年の米の年間消費量は、一人当たり56.9キログラム。ごはんに換算すると、1日の消費量は344グラムで飯碗約2杯分です。また、家計の年間支出額で、米を買うためのお金よりパンを買うためのお金の方が上回った年もあり(平成23年総務省『家計調査』)、「主食は米」と胸を張って言える数字ではありません。
その一方で、外食や中食での米の消費量は安定しているとか。あるコンビニのおにぎりの売上げ推移を例にとれば、2006年には年間で11億500万個だった販売量が、2014年には年間18億7600万個に増加。日本の人口を1億2689万人として計算すると、赤ちゃんからお年寄りまでひっくるめて、年間に一人約18個のおにぎりを買って食べていることになります。

ごはんの簡便化

こうしたことから読み取れるのは、調理する手間を省きたいという簡便化への志向です。あるアンケート調査によると、子どもを持つ母親の72%が「朝食に"ごはん食"を食べさせたい」と思いながら、実行している割合は36%。その理由として、「ごはん食にはおかずが必要」「炊飯が必要な上に、1食分だけの炊飯はしづらい」といったことが挙げられています。炊飯については、前の晩に炊飯器のタイマーをセットしておく、急ぐときは炊飯器より短時間で炊ける土鍋などを活用する、といった工夫で解決できそうです。また、朝食のおかずには、納豆やみそ汁といった簡素な取り合わせこそが理想的。米と大豆を組み合わせることで両者が栄養を補い合い、必須アミノ酸のバランスを理想的にするからです。インスタントのみそ汁でもその効果を期待できるといいますから、賢く簡便化することを考えてみてもよさそうですね。

名前に見るライスサイクル

「米」という字を分解すると八十八になります。春先の「田おこし」から秋の収穫まで、八十八もの手間をかけて育てられるという米。それだけに思い入れは強く、収穫後の米にもそれぞれの段階で名前がつけられてきました。
「稲穂(いなほ)」から取ったままの、まだ脱穀していない米は「籾(もみ)」で、その籾殻(もみがら:外皮)を外してできたのが「玄米(げんまい=イネの種子)」。玄米をついて種皮や外胚乳などを取り除いたのが「白米」で、その過程で出るのが「糠(ぬか)」。白米を炊いたら「飯(めし)、ごはん」になり、水を多めに入れて炊けば「粥(かゆ)」に。普通のごはんや粥に使うのは、「粳(うるち)米」ですが、赤飯などに使うのは「糯米(もちごめ)」。その糯米(もちごめ)を蒸し上げたのが「おこわ」で、おこわを熱いうちに搗(つ)くと「餅」に。そして、ごはんやおこわを乾燥させて保存食にしたものが「糒(ほしい)」、今で言うアルファ化米です。昔から旅の携帯食としても使われ、『伊勢物語』のなかには、旅人が食事中に京の都を思い出して涙し、その涙で糒(ほしい)がふやけてしまったという話も出てきます。
こんな風に、その加工の過程や調理の過程でさまざまに姿を変え、それぞれに名前がつけられてきた米。「米」も「ごはん」もriceのひとことで表現する英語との落差に驚きますが、米に深く関わってきた日本人の歴史が、こうした言葉を生んだのでしょう。
しかし、米の食文化が単純化してきたことで、これらの名前や漢字は次第に忘れられようとしています。「米離れ」とは、米とともにあった大切な何かを手放すことなのかもしれません。
単に主食であるというだけでなく、儀礼や信仰とも深く関わり、日本の歴史のなかで特別な穀物とされてきた米。稲作農耕のなかから、先人たちはさまざまな文化を紡ぎ出してきました。そしてまた、水田の広がる農山村の風景は、たとえそこが故郷でなくても、日本人の原風景というべきものでした。
米離れが進み、農家の存続さえ危ぶまれる現実のなかで、主食としての米の位置づけも揺らぎつつある昨今。米は、経済活動の産物としてのみ語られてよいのでしょうか? 私たち日本人の心に深く根付いていたはずの米は、この先、どこへ行くのでしょう?
2015年8月10日(月)発行の小冊子くらし中心 no.15「コメの力」では、日本人とコメについて、さまざまな角度から光を当てています。全国の無印良品の店頭で無料配布すると同時に、「くらしの良品研究所」のサイト小冊子「くらし中心」からもダウンロードできますので、ぜひご覧ください。