木曜日, 11月 12, 2015

HIROSHI SUGIMOTO 杉本博司 INTERVIEW .2|TS49



1.価値を普遍化して、欲望を喚起する

<杉本氏のSOURCE>
マルセル・デュシャン
撮影:マン・レイ 1920年
ゼラチン・シルバー・プリント
Courtesy of Hiroshi Sugimoto
日本の伝統「本歌取り」と「レディメイド」、駄洒落とユーモア好き、副業の古美術商と家庭教師…杉本氏自ら認めるソウルメイト。

近藤:杉本さんは、仏像とか日本の古美術をはじめ、いろんなものを収集していますけど、一個一個にまつわる歴史とは別に、買うものに共通するものってありますか。

杉本:やはり、手元に置いて時間をかけて見ないとわからないと思うものを買う。パッと見て「これは宗達の下絵で光悦の書で」というのは持ってなくてもいいわけで。吸血鬼みたいに滋養を吸い取るのに時間がかかるものを買う(笑)。向こうがこっちに取り憑くのか、こっちが向こうに取り憑くのかわからないけど……。

何千万円もするようなものもあれば、ただで拾ってきたようなものもある。それらを並べて見るのはとても心地よいことで、今、そういう展覧会を、大原美術館でやっている。拾ってきたものと買ってきたものを並列に並べてね。「収集」というのは、普通は収めて集めるんだけど、こっちは拾ってきて集める「拾集」(笑)。

拾ってきたものでも、自分の中では等価だから、逆に価値を普遍化して見せて人の欲望をどういうふうに喚起するか。そういういたずらを最初に考えたのはマルセル・デュシャンだね。「ファウンド・オブジェ」だって、拾ってきたものだよ。

近藤:拾ってきた便器にサインしたら、それがアートになったという……

杉本:それが「レディメイド」、日本語でいえば「おあつらいむき」と訳せる(笑)。

近藤:(笑)。自分が一番影響を受けたアーティストといえば、(マルセル・)デュシャンですか。ジオラマの作品を制作していた頃に、大ガラスの作品を見て「自分と発想が同じだ」と思われたとか……。

杉本:そうそう、「これでいいんだ!」とは思った。やっぱり若いころに、デュシャンには影響を受けたね。

近藤:デュシャンのほかに、同時代のアーティストなどで影響を受けた人はいますか?

杉本:はっきり言って、あまりいない。それがいないのが私の不幸だよ(笑)。私は孤独の中に、今、命絶え絶えに生きている(笑)。

2.アートと宗教:人間は何かを拝まないと生きていけない

Henry VIII
1999年
ゼラチン・シルバー・プリント
© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi
絵画という記録法に代わり、蝋人形という形で記録された歴史上の人物たちを、当時の光そのままに、まるで生きているように撮影したシリーズ。

近藤:ところで、アートと宗教の共通点と違いは何だと思いますか。

杉本:アートも、宗教も、政治も、元々は同じルートから出ているものだよね。人間が一つの共同体を形成し、社会的な生活を送るようになる中での一つの規範。同じ神を崇めるということが、同じ集団をつくるということだから……

近藤:それが宗教の始まりですね。

杉本:そう。それが宗教の始まりで、同じ法律のもとに生きるということで、政治ができる。そして、同じ神を崇めるためには祭る必要があるということで、祭るための技術がアートだった。だから、みんな同根なんだ。

ところが、近代に至る過程で宗教の力が相対的に弱まってしまったので、神に仕えるための装飾をつくるアーティストが仕えるべき神が役不足になってしまった。そして近代化が始まり、アートが神から分離された形で、人間の心そのものの表出という、主なき世界に突入しちゃったのが現代美術なんだ。

<杉本氏のSOURCE>
十一面観音立像
平安時代 12世紀
木造著色
Courtesy of Hiroshi Sugimoto
杉本氏が若き頃、生活のため古美術商を営んでいたのは有名だが、今でも自身のための収集は続け、「一鉢の仏像を造る思いを成しながら現代美術にとり組んでいる」。

近藤:神に仕えるアートだったのが、個人の心の方に行ってしまったんですね。

杉本:施主がいなくなってしまった建築家みたいなもんだよね。何をつくってもいいんだけど、何をつくっても虚しい、誰も褒めてくれる人がいないという感じ。

でも、神が滅びたら美術も滅びるかというと、そうでもなく、美術は美術として残ってしまった。そして、昔は美術をサポートするパトロンは教会だった。教会というのは、金持ちが余ったお金、自分の悪業の至りのお金を浄財として寄付することによって、罪を免れるというシステムだった。

ところが、宗教の権威がなくなってしまった今、教会にお金を寄付しても何のご利益もないということで、金持ちたちは教会にではなく美術館に寄付するようになった。だから、今は教会のかわりに、美術館が1つの免罪符になっている。神さま抜きでのお金と免罪意識の循環が成り立つようになり、美術館に存在理由ができた。おもしろいことに税務署は教会に寄付しても美術館に寄付してもアメリカでは無税にしてくれる。人々はそこにお参りに行くわけだ。賽銭を投げるかわりに、入場料を払って。

印象派の絵などは、完全に偶像崇拝化しちゃってるよね。描いていた頃は値段もつかなかったようなものが、100年も経たないうちに偶像化してしまう。偶像がないと社会は成り立たない。人間というのは、イワシの頭みたいなものを信心したり、何かを拝まないと生きていけない。だから、天皇制もずっと続いている。だけど、拝まれちゃった方はいい迷惑だよね(笑)。私は少なくとも英国王室なみの天皇の人権回復をなすべきだとおもうし、天皇に京都にお帰りいただいく京都遷都運動に賛成しているのです。京都御所は150年近く空き家のままです。

3.小田原プロジェクトについて

<杉本氏のSOURCE>
棘のある三葉虫 Boedaspis ensifer
オルドビス紀 5億500万年 _ 4億3800万年前
ロシア ヴォルチョフ川流域
Courtesy of Hiroshi Sugimoto
「写真とは現在を化石化する行為」という杉本氏は写真を使う美術家として、化石、ジオラマ、蝋人形…と連なる写真という世界認識の歴史を作品化してきたとも言える。

近藤:今、小田原で5000坪の土地に計画中のプロジェクトについて聞かせて頂けますか? 施設の中に舞台があって、冬至の日にだけ光が差し込むように設計されているということを聞きましたが。

杉本:土地は農地だから、そんなに高いものじゃないけど、農地転用して開発許可をもらうのが大変なんだよね(笑)。とても観念的なものなんだけど、思いついたものをつくるというのがアーティストだからね。石室の壁は、今集めている化石で全部を埋めちゃおうと思ってる。

近藤:壁全部をですか? 本物の化石ですよね。

杉本:そうそう。掘ったら化石だらけだったという設定で歴史を捏造するわけです、それぐらい量はある。あとは、海に張り出ているガラスの能舞台もあって、地下と地上の舞台がトンネル状につながっているというのを考えている。

能の構成というのは、前仕手と後仕手に分かれているんです。今の世界と生前の世界というか、今の時間と古代の時間。そして、能の舞台というのは、中世の舞台の中で、古代の話がメインテーマになっていて、そこを旅の僧が通りかかって、不幸にして死んだ人の霊を呼び覚まして昔語りをしていると、夢の中にその人が出てきて舞を舞うという構成になっている。これを複式夢幻能と言います。

だから、地下で生前の世界、地上で今の時間と両方やって、観客ごと地下から地上に移るというような構成。能形式における時間の飛び方というのかな。演劇空間なんか、それくらいのスケールで考えていかないとね。

近藤:最初、冬至の日に太陽光が差し込むというランドアート的な仕掛けを聞いて、ジェームス・タレルの「ローデン・クレーター」と重なる部分があるのかとイメージしたんですけど……。

杉本:あれは何だろう、もうひとつ理解してないんだけど、覗くと北極星とかが見えてどうのこうの……。

近藤:僕も実際に行ったことはないですが、直径300mくらいの大きなクレーターがあって、そこに星や太陽の光が届く部屋が10個ぐらいあって、天然のプラネタリウムみたいに、クレーターの外側の空がぽっかりと切り取られて星が見える、というような仕掛けらしいです。

杉本:じゃ、わざわざつくることはない。そこに行って見てりゃいいんじゃない? あまり詳しく研究してないんだけど、よく同じものを沢山作って稼いでるなと(笑)。

放電場 019
2007-08年 ゼラチン・シルバー・プリント
© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi
ネガポジ法写真の発明者、タルボットの電磁誘導研究を引継ぎ、暗室での真鍮板上のフィルムへの直接放電実験によって生まれたシリーズ。

近藤:(苦笑)。直島にも、金沢にも、NYにもある、空がぽっかり抜けてるあの作品ですね。

杉本:私は、あれは「そら(空)みたことか!」と呼んでるんだけど(笑)。こっちは飽きちゃうよね。それに最近、直島で作ってるものはネオン管で色が出てたりする。自然の色の変化を見せるはずなのに、人工的に変な色を出すなんて逆行してるよね。

近藤:僕もあれは違和感がありましたね。でも、杉本さんも「海景」などは、初期からずっと撮っていて飽きたりしないんですか?

杉本:飽きないね。どんどん高く売れるようになるから全然飽きない(笑)。

近藤:そこですか(笑)。実際、いろんなところへ行けるから飽きないんですか。

杉本:まあ、そうだったんだけど、9・11以降、今は実質的に「海景」は撮りに行けなくなってしまった。なぜかというと、生フィルムで空港のX線の検閲を通るのは、ほぼ不可能なんですよ。飛行機を使わずに移動すれば撮れるけど、日本だと、夜でもイカ釣り漁船など、明りだらけなんです。だから、暗室の中でやれるような電磁誘導実験(「放電場」)をやったりしている。

近藤:そういう事情もあったんですね。


4.生意気な若者だった

<杉本氏のSOURCE>
ルナ3号による月の裏側写真
1959年10月 ゼラチン・シルバー・プリント
Courtesy of Hiroshi Sugimoto
11歳の時、ソ連の人工衛星による、それまで誰も見たことがなかった月の裏側の写真に興奮した杉本少年。大人になってそれを手に入れた時、ソ連は消滅していた。

米田:僕も、今日のインタビューに備えていろいろと読ませてもらったんですが、アメリカに渡られた時に、「一番上から攻めるのが自分の哲学だ」と、最初から自分の売り込み方を決めていたという杉本さんの考え方がすごく面白かったんです。トップのところに作品を見せて、ダメだったら下りていけばいいと。そこが自分の価値であるという。実際に杉本さんは最初からMoMAに行って成功するわけですが(笑)、それは、ご自身が言われるように、生意気な若者だった当時の勢いだったんですか? それとも、考えた末の戦略だったんでしょうか?

杉本:まあ戦略的に考えていたよね。それが当然じゃないですか。逆に、下から這い上がっていこうと、何でみんなは思うのかと不思議(笑)。上から落ちていけばいいんじゃないかと。逆転の発想なんだよね。

近藤:それはなかなか持てないですよね。普通は、相手にされないんじゃないかと。

杉本:変な自信があったといえばあったわけだね。世の中のレベルと自分がやっていることは、どれぐらいの距離があるのか、どれぐらい新しいかとか、考えてね。だから、生意気な若者って昔いっぱいいたけど、実質的に何かあって生意気なヤツと、全く何もなくて生意気なヤツと両方いる。何もなくて生意気というのは、もうそれだけで消えていく運命だけど。私も生意気ではあったけれど、やっぱり意外とそんなに世の中甘くはなかったよね(笑)。

米田:そうですよね。杉本さんでも、やっぱり苦労されたんじゃないかなとは思っていました(笑)。

5.U2・ボノとの”STONE AGE DEAL”

U2のニューアルバム『No Line On The Horizon』に使用された杉本氏のSeascapes(2008年2月リリース)

米田:それから、U2のニューアルバム『No Line On The Horizon』(2008年2月リリース)のジャケットに杉本さんの「海景」の写真が使われて話題になりましたね。ボノとの交友について伺いたいんですけど、彼からはどんな感じで作品を使いたいと言われたんですか?

杉本:ある日突然、友人のプライベートジェットに乗ることがあって、南フランスのボノの別荘に連れて行かれちゃった。それでいかに自分があなたの作品を愛しているかと、告られた(笑)。それで、「ここから見える海を撮ってくれないか?」と頼まれたんだけど、「そんなの嫌だよ」って(笑)。それからも今日みたいにフランクな感じで英語でいろいろしゃべってたら、僕の発言をいきなりノートに取り始めたんだよね。「次のアルバムに使える!」とか言い出してさ。結構、あのU2に影響力を行使したわけだね(笑)。

米田:(笑)。ニューアルバムの制作中には、ダブリンのボノの自宅にも行かれたそうですね。

杉本:そう、彼の家に行って、アルバムのデモテープを散々聴かされて、1泊して次の日は、車で5分ぐらいのエッジ(U2のギタリスト)の家へ行って、同じような作業を一緒にやってという感じだった。

米田:ボノの家はダブリンからちょっと行った海沿いにありますよね。実は、僕も10年ぐらい前に、ボノの家にアポ無しで行ったことがあるんですよ(笑)。

杉本:へえー。中には入ったの?

米田:現地でタクシーの運ちゃんに聞いたりしながら、なんとか辿り着きました。で、僕と同じ考えのファンがいたんですが、もちろん本人はいなくてガードマンがいるだけで(笑)。

杉本:家の中に入ると、そんなに広くはないけど、庭から海岸までつながってるよね。あの海岸はプライベートで、次の日の朝、みんなでその海岸をずっと散歩したけどね。

近藤:ちなみに、ジャケット写真に載っているソフトバンクみたいなマークは、何なんですか?

米田:そっくりなCDジャケットが元々あったから、あのイコールのデザインを入れたという話もちょっと聞きました。


杉本:いや、それはあまり関係ない。ハーシュホンというワシントンの国立美術館で展覧会をやった時に、リチャード・チャーターという現代音楽のグループが杉本展のために作曲した曲というのがあって、美術館がCDを作ってカバーに偶然同じ写真を使ってたんだよ。だから、ネット上で、「ボノが盗作した」とか書かれちゃった。でも、こっちとしては別にそういう意識はなくて、どっちも金をもらってないし、使わせてあげているのだから。

その後、ボノとマネージャーのポール・マクギネスがCDジャケットのラフを持って、NYの僕のところにやって来たんだけど、「これ(写真の権利)、どうする?」という話になった。でも、面倒くさいなと(笑)。作品の価値や自分のイメージを100万で売るのか1000万で売るのか、そんなことは考えたくもない。だから、粋な計らいでいこうかと思って、こっちから、「それじゃ、これは”STONE AGE DEAL”(石器時代の取引)でいこうよ」と提案した。そしたら、ボノも「こんなの初めて!」ってびっくりしちゃった。

米田:物々交換ってことですよね。杉本さんが作品をU2に使用許可を与える代わりに、彼らの曲を使っていいことになったと。

杉本:そう、マクギネスがブツブツ言ってたから、物々交換(笑)。でも、CD1枚につき1円くれるとしたって、すでに500万枚売れたから500万入ってたことになる。1枚10円だったら5000万円入ってたんだ。もったいないことしたね!(笑)。

米田:ボノは実際はどんな感じの人ですか?

杉本:真面目なヤツだよ。よくいる有名人みたいに、なんとなくチャリティーをやろうなんて、そういうチャラけた感じじゃなくて、本気で問題解決を考えてる。

近藤:杉本さん自身は、チャリティーや人道支援には興味はありますか?

杉本:まあ、自分から始めようとは思わないけどね。人がやるのに参加してくれって言われれば、別に拒むことはないよね。

米田:ボノは必ず次、杉本さんに声をかけそうな気がするんですよ。「何かやるから手伝ってくれ」と(笑)。

杉本:声をかけられちゃったら、それは因縁だからしようがないね(笑)。

6.ショート質問連発!

<杉本氏のSOURCE>
アイザック・ニュートン『光学』初版
Courtesy of Hiroshi Sugimoto
ニュートンが『光学』を出版して300年後、杉本氏は「光は色によって屈折率が異なる」という発見とその実験方法を再現し、「影の色」という作品が生まれた。

近藤:最後に、まとめて短めの質問をさせてください。気軽に答えて頂ければ。
まず、人は何でものをつくるんでしょうか?

杉本:まあ、悲しい性だね。
人は、なんかやってないと間がもたないんだ。

近藤:知識人とは?

杉本:知識があると思っている自惚れた人間。

近藤:杉本さんは知識人ですか?

杉本:いやぁ、そこまで自惚れてないよ(笑)。まあ、あえて言えば「痴識人」といったところかな。

近藤:「割烹すぎもと」(杉本氏自ら板長として、白金の自宅にゲストを招いて手料理でもてなすという)の最近のご自慢の料理は?

杉本:最近あまり開店してないけど、このあいだ、いとうせいこうが客で、空豆を発掘物の平安時代の猿投窯のはちで出した。それから土鍋で縄文風パエリアというのを食した。大昔はなんでもうまかったね。 

近藤:好きなお酒は?

杉本:やっぱり始めはビールがいいね。プレミアム・モルツはけっこううまいね。酒は吟醸はだめでただの純米酒。

近藤:広告は一切やらないという方針をずっと貫かれてますが、その理由を教えて頂けますか?

杉本:いやぁ「売春婦がキスだけはさせない」というのと同じ……変な喩えだね(笑)。でも、コマーシャルをやらないと言ってたら、結局は現代美術そのものがコマーシャルになっちゃった。変な話だよ(笑)。

In Praise of Shadows
1998年
モノクローム 8x10 ポジ
© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi
人類が数百万年、照らされていた火の光。蝋燭が燃え尽きるまでの「蝋燭の一生」を1枚の写真に焼き付けたシリーズ。

近藤:自分を動物に例えると?

杉本:動物に例えると……人間という動物だよ。

近藤:これは失礼かもしれないんですが……著書にデュシャンの墓碑の話を書かれてましたけど、杉本さんも実はすでに自分の墓碑名を考えてあったりしていますか。

杉本:そろそろ考えなくちゃなとは思ってるけど、考えたとしても発表しないよ(笑)。仏教のこと何も知らない坊さんに変な戒名つけられちゃたまらないでしょ。「写真院神妙大師」とか。

米田:ところで、教育に興味はありますか? よく、芸術家は大学の教授になったりしますよね。

杉本:教育は全然嫌い(笑)。誰かに教えて、そいつが自分と似たようなものを作ったら、嫌じゃない(笑)。ベッヒャースクールとか信じられない。教えるよりも、自分で作ってる方が世の中にも貢献するよね。大体、教えるようになったら、アーティストは駄目になる。教えることで収入が安定して、暇な時間に自分の作品をつくるというのは、アーティストとしてプロじゃないよ。 

近藤:杉本さんも若い頃、収入のために古美術商をやっていたそうですが?

杉本:私がやっていた古美術商は、自分の教育装置だから。だから、本を読むのも骨董を買うのも同じような感じだね。骨董屋をやることで、心理学的に美術館の学芸員や館長とどうつき合うかわかった。学者より上へ行かなくちゃいけないから、相手が面白いと思うものより上をいくものを持っていって、「こんなのどうでしょうか?」という感じでね。

<杉本氏のSOURCE>
William Henry Fox Talbot ”Botanical Specimen”, Circa 1835. Photogenic Drawing Positive
2006年 ゼラチン・シルバー・プリント
© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi
写真術の始祖、タルボットと杉本氏の関係も深い。「気がついてみたら、私はタルボットの研究を引き継いでいたことになる。写真も、古代研究も、放電実験も」。

近藤:実際、古美術に関する知識は、美術館のキュレーターや美術史家より上にいっているんじゃないですか。

杉本:だって東大の美術史やっていても、「私は琳派の末裔の酒井抱一のそのまた弟子の○○を専門にやってます」など、どうでもいい絵描きの一生を詳しく知ってるけど、世界の文化史の中でその人間がどういう位置にあるとか、他の美術史との関連とか、ヨーロッパやイスラムではどうだったかはあまりごぞんじない。

近藤:今、絵描きも科学者も自分の専門分野だけに専門化してしまっているのに、杉本さんは「歴史の歴史」を見ても、科学と宗教と美術と……人類の歴史を全部を引き受けようとしていますよね。

杉本:うん、広く浅くね。でもね、浅瀬に時々思ってもみない深みがあって、はまってしまうことがある。一度はまったが最期抜け出せない、あり地獄みたいなやつがね。

近藤:(笑)。では、最後にもう一度デュシャンにまつわる質問です。彼は晩年に人生をふり返って、「私は幸せでした。一生食いっぱぐれることもなかったし、金持ちにならずに済みました」と言ったそうですが、経済的に成功してしまった杉本さんはいかがですか?

杉本:全部骨董品に変えちゃったから、現金がない。コレクターにはなったけど、金持ちにはなれなかったね。デュシャンも、ブランクーシの作品を全部買い取って、それを少しずつ売りながら生きていたディーラーでもあった。ブランクーシの作品があまり評価されないで売買されるというのが許せなかったんだよ。だから全部買い取って、自分で市場をコントロールした。ホントに商売人、骨董商でもあったわけだね。

近藤:コレクターという点でもデュシャンと被っていたんですね……。そんなわけで、最後にざーっとランダムに聞く形になりましたが、非常に面白かったです。

杉本:でも、これだけ勝手に無駄話をしていたのをまとめるのって、大変じゃない?

近藤:無駄話のまま載ってるかもしれないですよ(笑)。

杉本:まあ無駄のない話なんていうのがあるのかね、無駄がないと話が成り立たない、神話なんかの起源も言語の実用的なコミュニケーションからはみだした、いわば無駄の部分が結語化したものだ。というよりも、無駄が最初にあって、無駄が実用にしだいに転化して言語が成立したと言えるのだろう。

近藤:そうですね。無駄なお話も無駄にしないように原稿にさせて頂きます。
今日はありがとうございました!





杉本博司

1948年東京生まれ。1970年に渡米、1974年よりNYに移り写真制作を開始。「劇場」「海景」などに代表される作品は、明確なコンセプトと卓越した技術で高い評価を確立し、世界中の美術館に収蔵されている。2001年ハッセルブラッド国際写真賞受賞。精力的に新作発表を続けながら2005年より初の回顧展が森美術館(東京)を皮切りに米国、ヨーロッパを巡回。また、杉本氏自身の収集品と作品によって構成された「歴史の歴史」展が東京に始まり米国、カナダ、金沢、大阪を巡回。



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4.20.2009



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