月曜日, 11月 02, 2015

「脱ぐのをやめた『PLAYBOY』

 

プラットフォームが支配する時代の「ヌードなき『PLAYBOY』」

 

米雑誌『PLAYBOY』の「ヌード」からの撤退という決断が意味するのは何か。それは、Facebook、Twitterのようなソーシャルメディアというプラットフォーム全盛の時代における、メディアの生き残り方を模索した結果なのかもしれない。



これで「職場閲覧」も安心だ。

かつてはアダルト雑誌の筆頭であった『PLAYBOY』(プレイボーイ)が、「ヌードを取りやめる」(ただし「PG13」は維持される)。この事実を最初に伝えた「ニューヨーク・タイムズ」によれば、同誌は、誌面の企画を見直し、2016年3月に発行される号からフルヌード写真を掲載しなくなるという。「1953年に創始者ヒュー・ヘフナーがこの雑誌を創刊して以来、モデル、有名人、そしてもちろん、プレイメイトの裸体が掲載されないのは初めてのこと」だと、同社は語る。

これは思い切った転換である。ヘフナーは、ヌードを打ち出した雑誌を生み出したが、「彼がPLAYBOYをつくったとき、彼は、痛々しいほどに保守的であった当時のアメリカにおいて、個人の、そして性的な自由を守ろうと手を打ったのです」と、プレイボーイ社は説明する。

しかしながら、時代は変わった。ヌードやポルノは、インターネット上でいくらでも見ることができる。多くの人が、雑誌を購買するよりもむしろオンラインでの閲覧を選択している。一方で、従来の読者は、Facebook、Twitter、Pinterestなどのプラットフォームで、ストーリーを読んでいる。そしてこれらのプラットフォームはそれぞれ独自のルールを設け、ヌードを禁止、あるいは制限している。

プラットフォーム・ドリヴンの現代においてPLAYBOYが生き残るためには、こうしたルールを遵守しなければならないというプレッシャーはとてつもなく大きい。ゆえに彼らは、自らのアイデンティティの柱に見切りをつけるわけである。

「プレイ」への適合

とはいえ、PLAYBOYがこうした転向を試みるのは初めてというわけではない。
プレイボーイ社は15年に「職場でも安全に読めるもの」として「Playboy.com」を再始動し、かなりの成功を収めている。「毎月、何千万人もの読者が、美しい女性のグラビアのみならず、ユーモア、セックス、文化、スタイル、ナイトライフ、娯楽、そしてヴィデオゲームについての記事やヴィデオを求めて、わたしたちのヌード以外のコンテンツに接しています」と、彼らは言っている。

同社CEO、スコット・フランダースは、「タイムズ」誌に対して、コンテンツのいくつかを「Facebook、Instagram、そして Twitterのようなソーシャルメディアプラットフォームに掲載できるように」した、とタイムズ誌に語っている。またタイムズ誌は、ウェブサイト移行後、ひと月あたりのウェブサイト訪問者数がおよそ400万人から1,600万人に増加、読者の平均年齢が47歳から30歳代全般に下がったという。つまり人口統計学からみて「自宅でソーシャルメディアを利用する読者」へと移行した、と伝えている。

多くのソーシャルメディア・プラットフォームでは、セックスなどの「露骨なコンテンツ」を禁止している。そうしたコミュニティー基準はずっと変わっていない。それこそ、53年にヘフナーがマリリン・モンローのヌードを雑誌に「折込み」として発行したときから。
プレイボーイ社は、「Facebookでは、ヌード写真の掲出が禁じられているが、それはグローバルで見たときに、この種のコンテンツに対して過敏なユーザーがいる場合があるからだ」と述べている。Twitterは、ヌードのようなセンシティヴなコンテンツについて、アラートを出して隠せるよう求めている。一方で、セレブや活動家たちが「乳首を自由に」Instagramに掲載するというキャンペーンを行っているが、成功はしていない。アップル社のApp Storeのガイドラインは、「ポルノの資料を含むアプリは拒絶されます」との警告を出している。

このような事態に直面したとき、PLAYBOYのように、コンテンツディストリビューションの観点からプラットフォームに依存している雑誌において、戦略の再検討が必要になるのも無理はない。

雑誌の発行人は、何をすべきだろうか。コンテンツを雑誌のみに掲載するという方針では、企業は必ずしも成長しない。雑誌で見ることのできるものは、オンラインにも掲載されるものだ。プレイボーイ社はブランドの再構築を決断した、ということだ。

PLAYBOYの決断は、コンテンツディストリビューション・モデルが、コンテンツ制作に対していかに「指図をするか」ということについて、完璧な例となるかもしれない。

しかし、ことはこれだけではない。発行人は、彼らの作品が読者/視聴者によってソーシャルメディア上で発見され、共有されるということで、自らの事業が成り立っていることを理解している。「シェア」が、編集者の意思決定の要素となっているが、しかしそれは言うほどにうまくいっているわけでもない。

雑誌というかたちで出版すれば売れる作品が、必ずしもウェブ上でうまくいくとは限らない。ラジオで成功する作品がテレビで報道された場合に、うまくくいくとは限らない。すべてのメディアには独自のルールがある。この違いは、ことコンテンツを考慮なければならないとき、発行人側ではルールを決められない。彼らはただフォローするのみ、なのだ




PLAYBOYを飾ったプレイメイトたち
創刊号で表紙を飾ったマリリン・モンロー。ただし当時はまだ「プレイメイト」の呼称は使用されておらず、「今月の恋人」とクレジットされている。『PLAYBOY』創始者のヘフナーは「モンローのそばで永眠したい」として、彼女が眠る墓所の真横の区画を購入している。
ヒロミ・オオシマ(1980 - )は、2004年6月の「今月のプレイメイト」。日本人として初めてのプレイメイトだ。
1988年1月のプレイメイト、キンバリー・コンラッド(1962 - )。のちに、創業者のへフナーと結婚した。写真は88年に、へフナーとともにグレース王妃財団のガラパーティに参加したときの様子。
2014年の「今年のプレイメイト」に選ばれたケネディ・サマーズ(1987 - )。写真は同年、アーティストのレイ・ジェイとともに。
1980年6月のプレイメイト、オーラ・レイ。見覚えがある読者諸兄の直感は、間違っていない。彼女は、83年に公開されたマイケル・ジャクソン「スリラー」のPVに、彼の恋人役として出演している。
ダニ・マザーズ(1987 - )は最も若い「クイーン」だ。2015年の「今年のプレイメイト」に選ばれたが、その以前にもセス・ローゲンの映画『Bad Neighbors』に出演するなど、女優としても活躍している。
1974年11月のプレイメイト、ビビ・ビュエル(1953 - )は、リヴ・タイラーの母親とも知られている。77年、リヴを妊娠していることに気づいたビビは、スティーヴン・タイラーにもとを去り、トッド・ラングレンを頼ることになる。
プレイメイトになった最初の双子、マリーとマドレーヌのコリンソン姉妹(1952 - )は、1970年10月のプレイメイト。写真は、主演した映画『Twins of Evil』(邦題:ドラキュラ血のしたたり)より。


TEXT BY JULIA GREENBERG
WIRED NEWS (US)




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