木曜日, 9月 24, 2015

自分の行動は全て無意識下で決定されてる?

人は意識的に自分の行動をコントロールしてると錯覚しているが、全て無意識下で決定されてる?(米研究)

意識的な思考が自分の行動をコントロールしていると考えている人は多い。だがどうやらそうではなさそうだ。

米サンフランシスコ州立大学のエゼキエル・モーセラ博士によれば、意識とはすでに決定された物事を認識して、それを自分が行ったと主張するだけの受動的な機械に過ぎないのだそうだ。

意識は私たちに「気付かせる」だけの、脳の仕組みのほんの一部でしかない。実際の機能のすべては無意識下で動いている。

受動意識仮説

この「受動意識仮説」は、数十年に渡って集められた人の認識と臭いに対する運動反応の実験データに基づいて提唱された。この仮説によれば、ほぼあらゆる 決定や思考は、無意識に機能している様々な部位で実行されている。そして、そこでなされた決定に基づいて肉体的な行動に移ろうとしたとき、あたかも有権者 が選挙の投票会場に向かうかのごとく、無意識の意見が”基地本部”に送られる。

この”基地本部”は無意識の会話に耳を傾けているが、そこに参加することはない。ただ、様々な意見が統合され、最終的な結論が出される会場を提供するだ けだ。無意識下でどのような肉体的行為や反応をするのか決定されると、その拠点、すなわち意識がその仕事を実行し、まるで自分で問題を解決したかのように 悦に入る。

無意識が全て支配する

ある意味、無意識は、映画の有名脚本家のために働く才気溢れたゴーストライター集団のようなものだ。すべてが滞りなく進めば、出来上がった脚本が作家に届けられる。

反対に、例えばゴーストライター同士の意見が一致しないなど、何か問題が生じると、その議論は有名脚本家の耳に入れられ、問題が意識されるようになる。 だが、それでも脚本家は何をするわけでもなく、ただじっと座ってゴーストライターが問題を解決するのを見守る。そして、脚本が完成して脚本家の許に届け ば、その功績を独り占めしてしまう。

ここでいう脚本家とは意識のことである。意識は頭の中の問題を議論することも解決することもない。最終的な結論を次の段階へ中継するために意識は「オン」である必要があるが、面倒な意思決定に参加することはない。

無意識が作動するのは進化によるもの

なぜ意識はこのようなあり方をしているのだろうか? モーセラ博士によれば、答えは進化だという。

他の動物と同じく、人間は精神のエネルギーを節約し、生物学的プロセスを自動化しようとする。ほとんどの場合、私たちは本能や反射、あるいは一瞬の思い つきで行動している。例えば、呼吸は完全に自動的に行われており、意識的に呼吸のリズムをキープしようとするのは実に難しい。ここで意識的な思考は完全に 停止している。

しかし、動物と違うのは、人間が複雑な社会的存在として、言語などの高等機能を使うための知性を発達させるよう進化してきたことだ。行動に関する決定はますます難しいものとなり、突然私たちには無意識に楽をさせる中継者が必要となった。
 
例えば、あなたが水中の中にいるとしよう。本能的に息をしようとするが、無意識は必死になって「息をしちゃダメだ! 溺れてしまう」ともっと適切な判断をする。無意識は意識に筋肉を動かして、息を止め、生き延びるよう命じる。これに応じて意識がその動作を開始する。

行動のみならず言語も無意識の産物

無意識の力は基本的な身体機能に止まらない。人間特有の高等かつ複雑な機能である言語も無意識の産物だ。人が話をするとき、同時に意識される言葉はほん の数語だけだ。それだけでその口と舌の筋肉を動かして発音できる。これは話す内容が無意識下で用意され、意識はこれにただ従っているだけだからだ。

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こうした説を受け入れるのは難しいかもしれない。だが、そうだからといって、知覚する存在として想像し、言語を用い、自意識を持つという人間の素晴らしい資質が否定されるわけではない。この説が指摘するのは、無意識が脳における主要なプレイヤーであるということだけだ。

事実、この仮説によって、精神疾患でよく見られる侵入思考や妄想について新しい見解がもたらされるかもしれない。意識の受動性が、不適切な衝動や思考を自覚してしまう理由を説明してくれるからだ。意識は考えるべき思考かどうか分かっていないのだ。

つまり、意識は思ったよりも物知りではなく、思慮深くもないということだ。

via:singularityhub・Translated iroching