金曜日, 10月 02, 2015

デジタル時代のニュースとは|Mark Thompson


米ニューヨーク・タイムズ(NYT)の社長兼最高経営責任者(CEO)で、英国放送協会(BBC)の会長も歴任したマーク・トンプソン氏は、メディア界の中でも最も果敢にデジタル化を進める代表格だ。来日を機に、急速に変化するメディア環境とジャーナリズムの未来について聞いた。



――過去から現在に至るニュースメディアの役割とは何でしょう。

「時代が変わっても、本質的な役割は変わらないと思います。家族や友達とつながる社会がある一方、その外には広い世界がある。そこで何が起きていて、どう理解すればいいのか。それを伝えるのが常にニュースの役割です」

――人々の好奇心を満たすということですか?

「もう一つ大切なのは、記録することです。古代ギリシャの 歴史家トゥキディデスは『戦史』でアテネとスパルタの間のペロポネソス戦争を記録しました。彼はこう言っている。人間の本質は変わらない。将来、同じようなことが繰り返されるだろう。だから、何が起きたかを後世に伝えることが重要なのだと。もちろん我々は歴史家のようにはできないが、メディアの素晴らしいところは、広く流布させ、多くの人に読んでもらうことができることです」

――インターネットの登場で、新聞など既存メディアは大きな影響を受けています。

「ネットは『パンドラの箱』を開けたとも言われます。テロリズム、流言、混乱、新聞社のビジネスへの脅威などすべてのあしきものが、インターネットによってもたらされたと。だが、私は違うと思う」
「知識、情報、オピニオンが広がっていくことで、検閲の撤廃にもつながる。人類にとって素晴らしいことだと信じています」
「確かに今は、乱気流のような激変の時代です。しかし、知識の広がりにあらがうことはできないし、特にデジタルは情報の拡散力が驚くほど強い。今起きているのは、ちょうどかつての印刷技術の発明(によるメディア革命)のようなものなのです」

――ツイッターやフェイスブックによってメディアだけでなく、誰でもニュースの発信ができるようになっています。

「ユーザーが投稿する(現場写真などの)コンテンツが、ニュースを補強することはとても素晴らしいと思っています。ただ、列車や航空機の事故といった大事件が起きたとき、我々が知りたいのは“なぜ”という点です。テロリストの仕業か、機器の故障なのか。その解明に必要なのは、長年の知識、専門性、取材先との人間関係です。それこそが、ジャーナリズムの心臓だと思います」

――フェイスブックやアップルなどにニュースを提供していますが、巨大IT企業に「ひさしを貸して母屋を取られる」という危険はないのでしょうか。

「門戸なら随分前に開けてしまった。ヤフーやグーグルといったIT企業との緊張関係は、もう20年近く続いています。今さら閉じようとしても、もう遅い。ただ、慎重にやっていかなければなりません」
「デジタル化で、人々はよりニュースに接するようになっています。例えば『何百人の巡礼者が死亡した』というニュースの見出し。これ自体は簡潔な、日用品化した情報です。我々の挑戦は、それでもNYTや朝日新聞が出したニュースの方が、聞いたこともないブランドから出されたものよりも価値がある、信頼できると認めてもらうことなのです。デジタル時代でも、最も重要なのは質の高いジャーナリズムです。ユニークでほかとは違い、価値がある記事を提供することです」

――巨大IT企業の脅威を乗り越えられますか。

「巨大IT企業はメディアにとって競合相手、脅威にもなりえるし、提携先、仲間にもなり得る。おそらく、両方の組み合わせになるでしょう。“フレネミー(友であり敵)”です」
「伝統的な競争相手がいます。フィナンシャル・タイムズ(FT)やウォールストリート・ジャーナル(WSJ)などです。特ダネでしのぎを削り、部数を争い、広告で競争しますが、我々は対応方法を知っている。より難しいのは、ずっと巨大なデジタルプラットフォームとの競争です。フェイスブックは中国の人口に匹敵する数のユーザーを抱えています」
「こうしたプラットフォームと協力し、実験していくことは非常に重要な戦略です。注意深く、しかし柔軟に取り組むことで、早く学ぶことができるはずです。ダンスパーティーで、完璧な相手が現れるまで座って待っているというのは賢い戦略ではありません」

――人工知能が大半の記事を書く時代が、10年以内に来るでしょうか。

「来ません。記事というのは思慮深く、構造的に人間が作り出すものです。分析的で、美しく、人々の心に響くように書かれなければならない。人間の頭脳が生み出すもので、様々な知性が要求されます。(NYTコラムニストの)ポール・クルーグマンのような文章を人工知能が書けるでしょうか? データから、単純な記事を作るにとどまるでしょう」
「人工知能が楽しみなのは、マーケティングなどの分野です。例えば、スマートフォンに一人ひとりの関心に応じたニュースや情報を届けるのには、重要な役割を果たすことになるでしょう」

 ――ノースカロライナ大学のフィリップ・メイヤー名誉教授は、2044年10月で米国の日刊新聞の発行が終わると予想しています。

「これは経済の問題です。少なくともNYTは、ニューヨークを中心とした地域では、仮に広告がなくなっても、なお利益を生む事業として長く発行が続くでしょう。ただ米国内でもニューヨーク以外の地域では、ほかの新聞社の施設を使って印刷するので、一概には言えません」

――自身は日々、どうニュースに接していますか?
 
「朝、マンハッタンのアパートで最初にする仕事は、ベッドの中で、スマホのNYTアプリを見ることです。その後、WSJやBBC、FTなどのニュースも10分ほどでチェックします。次の仕事は、ベッドから起きて、玄関から紙のNYTを取り、それを熱い紅茶のカップとともに妻に持って行くことです(笑)。妻もスマホやタブレットでニュースを読みますが、朝一番は紙。同じ家族でもさまざまなニュースとの接し方をしています」

――35年以上にわたるメディア界での経験で、最大の変化は何だったでしょうか?

「スマホの登場です。パソコンの登場とは比べものにならないインパクトです。可能性ははかりしれません。変化はまだまだ始まったばかりで、さらに進化していくのは間違いない。未来はこの小さなスマホにあります。最高のジャーナリズムを、スマホを使ってどう体験してもらえるかが、非常に重要なのです」

――ジャーナリズムが未来に生き残るために、いま足りないものは何だと思いますか。

「読者をこれまでと同じ存在だと思わないことです。読者は(ソーシャルメディアなどを使って)活動的になり、自分自身の声を、意見を持っている。そんな読者との緊密な関係を保ち、理解し、そのニーズを理解することです」 
「そして、もし可能なら、コンピューターのプログラムを学ぶこと。私自身もネット講座で(プログラムの一種)ジャバスクリプトの基礎を学んでいます」
「NYTはジャーナリズムの使命を中心とした企業です。ただ、ある意味でテクノロジー企業になる必要がある。編集局の人間がテクノロジーを毛嫌いする時代は終わりです。テクノロジーは、ジャーナリストにとっても極めて重要なものになりつつあります」
「(シリコンバレーの企業のように)今や大手メディア企業を一から立ち上げることも可能です。それはNYTでも、他の誰でも例外ではない。歴史に縛られる必要はないし、そのようなメディアが続々と登場しているのが、今の時代なのです」
 

◇ Mark Thompson
1957年、英国生まれ。オックスフォード大学卒業後、79年にBBCに入り、主に報道番組を担当。英国の他のテレビ局のCEOを経て、04年から12年までBBC会長。同年11月から現職。 


■「主戦場はスマホ」の戦略
「ニューヨーク・タイムズはある種のテクノロジー企業になる必要がある」。トンプソン氏はそう言い切る。そして、目を向けるべき競争相手は大手新聞社などの既存メディアだけではなく、「グーグルやフェイスブックだ」とも。その言葉の背景には、この間のメディア環境の激変に対する深い危機感がある。
一つは、従来の紙の新聞を中心としたビジネスモデルの地盤沈下だ。米新聞協会の調査では、日刊紙の発行部数は1984年の6300万部をピークに減り続け、昨年は4千万部。広告収入も紙面広告は2000年の487億ドル(約5兆8千億円)をピークに下落を続け、13年には173億ドルになった。デジタル広告を加えても207億ドルと、半減以下の状態だ。
そして、ネット企業のメディア空間での急速な台頭がある。
創業17年のグーグル1社で、広告収入は590億ドルと米新聞業界の約3倍。創業11年のフェイスブックの利用者数は世界で約15億人と、中国の人口をしのぐ。
紙からデジタルへ。NYTの生き残りをかけて、昨年まとめた社内改革の青写真が「イノベーション・リポート」だ。その中で最重要課題として挙げたのが、「読者開発」と呼ぶ新たなデジタル読者の開拓だった。そのためには、メディア激変の震源地である巨大ネット企業とも手を組む。
フェイスブックは今年5月、スマホ向けのニュース配信サービス「インスタント・アーティクルズ」を開始。アップルも同種のサービス「ニュース」を9月に始めた。NYTは、この両社に記事を提供している。
メディアの主戦場は、ネット利用者の大半が使うスマホと見定めてのことだ。「未来は手の中にある」とトンプソン氏。











変わらないジャーナリズムの使命と、変わり続けるメディア環境。そのはざまを生き抜くための挑戦は、日本のメディア界にとっても切迫した問題だ。