月曜日, 10月 20, 2014

現代の若者は絶望しているのか?

現代の若者は絶望しているのか?


 現代の若者は絶望しているのだろうか。どうなんだろう。というのは、昨日のエントリーへのツイッターのコメントでこういうのを見かけた。晒しとか、反論というかいう意味ではない。基本的には「ふーん、どうなんだろうか」と思っただけ。なのでコメント部分だけ引用。

ないのはお金だけじゃないよ。将来に対して絶望感以外なんにもない国で、落ちていくしかないんやから、恋愛みたいな長期的なことより、刹那的なものに流れるにきまってるやん。

 現代の若者が恋愛できないのは、お金がないこと論に加えて、この「国」の将来に対して絶望感以外ない、という意見があるらしい。
 若い人が絶望を抱くことについては、20歳までに自殺すると思っていた私としては、特に違和感はない。違和感があるとすれば、私がそうであったように、小学生だった1960年代から、青少年期だった1970年代、若い人の絶望というのは凡庸なことだった。
 特に60年代から70年代にはこの世の終わりという感じだった。核戦争で地球は滅亡すると思われていた。人口増加で食糧危機が発生し巨大な飢餓が起きるとも思われていた。レイチェル・カーソンの『沈黙の春』が『生と死の妙薬』として日本で出版されたのは1964年だった。今だと冗談みたいだが、氷河期がやってきて地球は凍るとも言われた。日本が沈没したらみたいなネタでウケていた小説『日本沈没』が出たのは1973年である。
 ノストラダムス予言はまだ一部でしかネタになっていなかったが、「もうすぐこの世はおしまいだ」と野坂昭如が「マリリン・モンロー・ノーリターン」で歌っていたのは1970年だった。あのころもの社会も若い人にとって特段に希望なんてなかった。ヤケクソと自暴自棄のナンセンスな世相だった。他面にはモーレツ社員がいた。「社畜」という言葉はなかったが、実態は同じだった。
 ただ、なんというのかな、あの時代、若い人の絶望は、「国」とか、なんかそういう外的な要因よりも、内的なものが強かった。
 内面からこみ上げるように、自殺するかなあ、という絶望感だった。自分の実存はもう存在しえないのだという切迫感もあった。当時よく読まれていたカミュの『シーシュポスの神話』(参照)とかにその感じがよく表現されている。


Il n'y a qu'un problème philosophique vraiment sérieux : c'est le suicide. Juger que la vie vaut ou ne vaut pas la peine d'être vécue, c'est répondre à la question fondamentale de la philosophie.
本当に深刻な哲学の問題は一つしかない。それは自殺である。生きることが、その困難に値するものかを判定することだ。これが哲学の根本問題に答えることなのである。

 青臭い。それもそのはず。カミュが24歳のときの作品である。若者の感覚がよく表れている。
 とはいえ、この本のオリジナルの出版は1942年。意外と古いというか第二次世界大戦中。日本だと1969年だった。
 この時代の若い人の絶望感については、いつかcakesに『二十歳の原点』(参照)の書評として書きたいと思っているので、その話自体はいずれ。
 それで思ったのは、絶望から自殺が連想されるように、では、当時の若者の自殺はどうだったかなと思い出していた。ネットなどではバブル期以降の日本の停滞から若者の絶望そして自殺の増加という議論をよく見かけるけど、私が青春時代だった1970年代、さらにその前の1960年代はもっとすさんでいたように記憶しているからだ。
 どっかにそのスパンの資料でも転がっているのではないかと、気まぐれに見ていたら、興味深いデータがあった。平成23年版・自殺対策白書「年齢階級別の自殺の状況」(参照)である。もっと新しい白書もあるがこれが見やすかった。
 日本の場合、若者の自殺率が高かったのは、1950年代から60年代前半のようだ。
 その後、1960年代半ばにぐっと落ち着いて、以降基本的に下がる傾向があるが、2000年代まであまり変わっていない。1960年代にはまだ若者の自殺は多い傾向があっただろうが、1970年代にはいって以降は若者の自殺が多かったとは言えそうになく、安定している。
 日経サイエンス「データで見る日本の自殺」(参照)ではこれに関連してこう説明されている。引用中グラフとあるのはこのグラフと同種の以下のグラフである。
 過去には若者の自殺率が非常に高かった時期がある。1950年代後半から60年代の戦後最初の自殺のピーク時だ(上のグラフを参照)。このときと比較すると現在は男女とも自殺率は1/3程度まで下がっている。1950年代以降で比較すると,欧米では逆に増えている国が多い。例えば,米国は1950年以降,15~24歳の白人男性の自殺は3倍に増えた。若者の自殺が増える要因としては,両親の離婚の増加,薬物乱用の蔓延と低年齢化,価値観の変化などが挙げられている。これらは程度の差こそあれ,日本でも問題になっていることだ。なぜ日本では若者の自殺が減ったのか,専門家も答えを出しあぐねている。

 記事中、「なぜ日本では若者の自殺が減ったのか,専門家も答えを出しあぐねている」とあるが、日本の若者の自殺が減ったことのほうが、この分野では奇妙な現象のようだ。
 また同記事では、若者の死因の上位に自殺がくるのは病気で亡くなる人が少ないからだという説明や、日本では男性の自殺が多いといっても他国と比べると少ない部類でどちらかというと、日本は女性の自殺傾向が強い国といった興味深い話もあった。
 いずれにせよ、長期スパンで統計的に見ると、現代日本の若者は絶望しているということと自殺にはそれほど強い繋がりはなさそうだ。
 ただ、グラフを見ていて、思ったのだが、15歳から24歳の若者の自殺が減るなか、35歳から44歳は1970年代以降増える傾向はありそうだ。また、この層はバブル期後の日本経済停滞期に入って自殺率が減り、2000年あたりから増えていくような傾向が見える。理由はわからない。
 ここでふと思ったのだが、現在のネットだと、若者というのは30代を指していることもあるので、その辺りの層が、40代に近づいていくと、自殺の傾向は自然に増えてくるというのはあるのかもしれない。
 絶望というのが自殺数という指標で図れるものかはよくわからないが、自殺数の推移を見ていくと、日本人の若者に自殺したくなるような絶望というが広まっているというようすは見られないように思えた。もちろん、これで「国」がいいとか社会がいいとか言いたいわけでもない。



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