月曜日, 10月 06, 2014

「ダサい社長」が日本をつぶす!|SWdesign代表 和田 智(5)


「美しい普通」を創りたい

カー&プロダクトデザイナー/SWdesign代表 和田 智さん(5)


和田 智(わだ・さとし)
カー&プロダクトデザイナー、SWdesign代表取締役
1961年東京生まれ。武蔵野美術大学卒。84年日産自動車入社。シニアデザイナーとして、初代セフィーロ(88年)、初代プレセア (89年)、セフィーロワゴン(96年)などの量販車のデザインを担当。89〜91年、英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アート留学。日産勤務時代最後の作品として電気自動車ハイパーミニをデザイン。98年、アウディAG/アウディ・デザインへ移籍。シニアデザイナー兼クリエーティブマネジャーとして、A6、Q7、A5、A1、A7などの主力車種を担当。アウディのシンボルとも言えるシングルフレームグリルをデザインし、その後「世界でもっとも美しいクーペ」と評されるA5を担当、アウディブランド世界躍進に大きな貢献を果たす。2009年アウディから独立し、自身のデザインスタジオ「SWdesign 」を設立。独立後はカーデザインを中心に、ドイツでの経験を生かし「新しい時代のミニマルなものや暮らし」を提案している。2012年ISSEY MIYAKE WATCH 「W」を発表。
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人物写真:大槻純一、以下同

ジウジアーロのパンダにやられた大学1年

川島:和田さんが、目指す「デザイン」ってなんでしょう?
和田:「世界で最も美しい普通」です。
川島:美しい。そして、普通。……たとえば、どんな?
和田:僕が最初に出会った「美しい普通」は、1981年、『カースタイリング』誌で、ジョルジェット・ジウジアーロ特集でのこと。武蔵美の1年生でした。カーデザイン界の巨人であるジウジアーロのスゴさもよく知らなかったのですが、その特集に載っていた「フィアット・パンダ」のデザインに衝撃を受けた。
初代フィアット・パンダ(写真提供・フィアットクライスラージャパン)
 シンプルな直線と平面で構成されたボディ。30年以上前の作品ですが、今見ても、まったく古びることがない。「普通」でありながら「美しい」。これがプロダクトデザインの理想ではないでしょうか。僕をカーデザインの道に導いてくれたのが、まさにパンダの「美しい普通」なデザインだったのです。そう、ジウジアーロが作ったデザインの世界観が「美しい普通」のお手本です。
川島:パンダのデザイン、そういわれてみると、すごいですね。これみよがしの曲面もなければ、押し付けがましい主張もない。直線だけで構成されている。なのに、ただの箱じゃない。1度見たら忘れられない「かたち」がそこにある。クルマに詳しくない私でも、実感できます。時代を超えたデザインってこういうものを指すのですね。
和田:このシンプルな直線的デザインこそが、ジウジアーロが生み出した「新しさ」なのです。実はこのパンダの前に、誰もが知るカーデザインをジウジアーロは世に出しています。初代フォルクスワーゲン・ゴルフです。
フォルクスワーゲン・ゴルフ1(写真提供:ヤナセ)
川島:ゴルフもジウジアーロだったんですか! 小型2ボックスカーの元祖ですよね。デザインひとつでクルマ市場を作ってしまったというわけですね。
和田:そうです。ジウジアーロが世に出した直線基調の2ボックスカーのデザインは、誰もやったことのない「新しい」ものでした。そして同時にこのデザインは、自動車の世界でひとつのスタンダードとなった。つまり「美しい普通」です。ただの「新しい」を世に出すことは可能です。でも、大概の「新しい」は、一過性の「奇抜」で終わってしまう。その後の世界でスタンダーになっていく、つまり「美しい普通」になるような「新しさ」を具現化できるデザイナーは、100年に1人出てくるかどうかと言っていい。まさに、天才の仕事なのです。
川島:ジウジアーロはまさにその100年に1人である、と。で、和田さんも次世代のジウジアーロになろう、と……。
ワーゲンの「ポロ」が今は最高です



和田:とんでもない! ジウジアーロの後なんか継げません。僕が言いたいのは、デザイナーは「新しさ」に対して謙虚であるべきということです。真の「新しいデザイン」は、ゴルフやパンダのように、次の時代の「美しい普通」になるようなデザインのことです。ところが「新しいデザイン」の大半は、タダの奇抜なデザインだったり、タダの「目新しいデザイン」なのです。
川島:そう言われてみると、最近の日本車、「美しい普通」と言えるデザインが、あまり見当たりませんね。

ワーゲンの「ポロ」が今は最高です

和田:残念ながら。一部のクルマを除いて街中を走っているクルマの大半は、デザインという視点から見て問題だと僕は思っています。街の風景の重要な一部となっているクルマのデザインは、公共的な側面があるのです。これからは、クルマが街を美しくしていく働きをしなくてはいけないと思います。
川島:ちなみに、ジウジアーロさんとはお会いになったことは?
和田:前回お話ししましたが、新型フォルクスワーゲン・ゴルフの発表会でご一緒しました。かつての上司であるフォルクスワーゲングループのデザインを統括するワヴァルター・ダ・シルヴァさんと来日した際、私も混ぜてもらってお話をしたんです。
新型ゴルフ発表会(写真提供:フォルクスワーゲン)
新型ゴルフ発表会でのトークセッション。左がジウジアーロ氏(写真提供:フォルクスワーゲン)
川島:どうでした?
和田:もう、感激でした。で、大学時代に雑誌の特集でジウジアーロデザインに出会ったこと、その後カーデザイナーを目指して今に至ることを、告白いたしました。
川島:わ、なんだか初恋の人に会っちゃったみたいな(笑)。
和田:で、ちゃっかり、大切に持っていたジウジアーロ特集の載っていた『カースタイリング』誌を持参したのですが、なんと、直筆でメッセージを綴ってくれたんですよ!
メッセージを綴るジウジアーロ氏と、感動する和田さん
川島:何て書いてくださったのですか?
和田:『彼の才能のための賞賛を持って』———そんなメッセージでした。嬉しくなって、思わずジウジアーロに抱きついちゃいました。
川島:素敵ですね。
和田:そのとき、ジウジアーロからエネルギーを拝受しました。で、思ったんです。ジウジアーロの足元にも及ばないけれど、彼が作り上げた「美しい普通」のデザインを、何とか継承していきたい。「美しい普通」の大切さを、今の若い日本のデザイナーに伝えていきたいと。
川島:今、「美しい普通」を最も良く体現しているクルマは、何だと思われますか?
和田:現行車種では、フォルクスワーゲンの「ポロ」ですね。
フォルクスワーゲン ポロ(写真提供:フォルクスワーゲン)
川島:わ、シンプル。
「普通」をネガティブからポジティブへ
和田:そう、実に普通。そして美しいでしょう。でも、こういうデザインって、なかなかできないんです。
川島:ついついもっといろんな意匠を施しちゃいますよね。前のモデルと違うデザインにしようとしたり、ライバルと差をつけようとしたりして。
和田:ええ。こんなサイドビューを、日本のクルマメーカーで社内デザイナーが描いたら、120%通らないでしょうね(笑)
フォルクスワーゲン ポロのサイドビュー(写真提供:フォルクスワーゲン)
川島:通りませんか。
和田:通りません。「あっと、驚くデザイン」を求める経営陣に「普通のデザイン」と言われるからです。逆に言えば「新しい」が前に出ていないからです。「前とは違う。他とは違う」が盛り込まれていないからです。日本メーカーは、「美しい」より「目新しい」や「おもしろい」が優先されている。だから、スタンダードデザインが生まれないのです。

「普通」をネガティブからポジティブへ

川島:「美しい普通」のデザインを体現できるかどうかは、デザイナーだけの問題じゃないんですね。そのデザインを選ぶかどうか、経営の問題である、と。
和田:はい。僕もアウディで仕事をしなかったら、これはわからなかったかもしれません。アウディに行ったからこそ「美しい普通」こそが本来のデザインだと気づかされたのです。自分なりの「美しい普通」のデザインを創って、それが製品化され、世の評価を受ける経験を積むことができた。でも、大半の日本経営者にとっても、社内デザイナーにとっても、そしてもしかすると日本人そのものにとっても、「普通」は「ポジティブ」なものではなくて、「ネガティブ」なものなんです。
アウディS5(写真提供:アウディ)
川島:……そうかもしれません。
和田:「普通」は、日本では少し「ネガティブ」。ならば、僕は、「普通」を少し「ポジティブ」なものに変えたい。モノがあふれている現代だからこそ、毎日の暮らしはシンプルで「普通」なデザインに囲まれたほうがいい。ただし、ただの「普通」じゃない。「美しい普通」です。そんな概念はデザインにとって最も力強いものです。そして人々の“暮らし”や、“こころ”の支えになるものなのです。そんなデザインを体現して、「普通」を「ポジティブ」なものにしていきたい。それが、僕の考えている重要な創造活動です。
川島:日本に「美しい普通」ってないのかしら?
日本の「美しい普通」は「美しいお米」

日本の「美しい普通」は「美しいお米」

和田:あります。「炊きたての白いごはん」。
川島:あ。わかる。
和田:わかるでしょう。日本人はそもそも「美しい普通」が得意なんですよ。茶の道だって、質素でムダを削ぎ落としている。でも、それが美しい。日本人は、日常の中にある些細なモノやコトこそが、一番美しいということを知っている民族です。その知恵をプロダクトデザインに反映すればいい。
川島:そうですよね。白いごはん、毎日食べるものだけど、つやつやぴかぴかほかほかしていて、ほんとうに美しい。
和田:ご先祖が大切に大切に育ててきたお米。日本人ひとりひとりのエネルギー源となっているお米。そんなお米を丁寧に炊いて、炊きたての白いごはんを、お茶碗にふわっと盛って、お箸でいただく。毎朝毎晩食べるもの。まさに究極の「普通」です。そこにとんでもない「美しさ」がある。まさに「美しい普通」です。日本にとって、理想の「美しい普通」は、皆さんの食卓にある「美しいお米」なんですよ。
川島:なるほど、「美しい普通」のデザインのおおもとは、海外じゃなくて、日常の食卓にちゃんとあった、というわけですね。みんな見過ごしていた。
和田:そう。それに、日本って今は問題があるけれど、本来自然が豊かな国でしょう。お米がたくさんとれるのも、日本の自然の豊かさが背景にあるからです。自然との調和が上手だったから、今の日本があるわけです。「美しい普通」をデザインするヒントは、そんな昔からの知恵にも隠れているはずです。自然に反するスピードは長く続かない、自然に反するものは美しくないということが、日本人は肌身でわかっているはずなのです。
川島:どちらかというと技術至上主義ですよね、今の日本。
1963年の日本の路上が美しかったわけ
和田:技術は常に進化するものです。技術革新は必然です。ただし、その利用に際しては、自然と協調したものでなければならない。行き過ぎた都市中心の発想から、自然とともに暮らしていく地方の生活を再構築し、子どもたちに継承していかなければならない。日本独自の慣習や感覚を継承しながら、新たな解決方法を世界に向けて提示していく。おおげさに言うと「美しい普通」って、そんなところにつながる概念です。

1963年の日本の路上が美しかったわけ

和田:そうそう、川島さんに見せたい写真があります。こちらです。
「1963年の東京の路上で」(モーターファン別冊「360cc軽自動車のすべて」収録)
川島:いつ頃のものですか?
和田:「1963年の東京の路上で」というタイトルがついた写真です。僕はこの写真が大好きなんですよ。街もクルマもいまより質素ですが、とても美しい。
川島:ノスタルジー、じゃない?
和田:違います。ノスタルジーじゃない。1963年の東京の街とクルマには品格がある。
川島:今と何が違うんでしょう?
和田: 1963年って東京オリンピックの前の年ですよね。日本がちょうど、高度成長期を駆け上り始めた頃です。街もクルマも人も前を向いている。何にもなくなった焼け跡から十数年かけて立て直してきた希望や喜びが、たった1枚の写真から伝わってくる。この写真を見ている僕たちの心に、当時の人たちのそんな思いが訴えかけてくるような気がする。
川島:今に比べると質素ですけど。
和田:そうです。質素です。でも、街のデザインにも、クルマのデザインにも、「美しい普通」があるんですよ。日本人は体現できるんです、「美しい普通」を。長い不況を経て、プロダクトデザインの担い手である製造業に、いまひとつ元気がないのが、今の日本が置かれている状況ですが、単なるノスタルジーじゃなくて、過去の日本がちゃんと体現してきた「美しい普通」を顧み、今を考え、次なる時代を創造する。謙虚に。そうすれば日本は必ずまた世界にリスペクトされるモノを生み出すことができる、と思います。
川島:その先頭を、まず和田さんに切ってほしいですね。時計のデザインでも、眼鏡のでデザインでも、そしてクルマのデザインでも!
和田:ご期待ください(笑)




「ダサい社長」が日本をつぶす!|SWdesign代表 和田 智(1)






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